今回映画化ということで、もう一度 三村新之丞=木村拓哉という前提で読み直してみた。
<br />既にマスコミ・CM等でご存知の通り、「盲目の侍」。ただし「座頭市」と異なり目は開いている。文中 「・・・以前とちっとも変わらずに美男子なのに・・」「・・・外界が見える物のように開いている」。
<br />要するに“かなり腕の立つかっこいい若侍”=木村拓哉 あのいい顔がそのまま武士になる。
<br />ピッタリである。監督が、「この侍は、木村拓哉でいきたい」と最初から願っていた通り、
<br />”完全なるはまり役”である。
<br />ストーリーはご存知の通り、
<br />「盲目にならされて、妻の・・・が・・・・・に・・・・・・・させられて・・・・・」、
<br />「武士の一分」にかけて・・・」
<br />泣かせどころアリ、しかし最後は「ハッピーエンド」。
<br />藤沢作品“文句なし!”
<br />小説は昭和55年の今から26年前の作品だが、
<br />映画にするなら多分「木村拓哉」以外にこの役はいないであろう。
<br />今回の作品は「たそがれ清兵衛」「隠し剣鬼の爪」に続く藤沢周平作品三部作の最後。
<br />「たそがれ清兵衛」は原作の短編3編を、
<br />「隠し剣鬼と爪」は2編を合わせたストーリー。
<br />今回は「盲目剣谺返し」1編、かなりオリジナルに近いはずである。映画公開が楽しみである。
隠し剣孤影抄とセットで1巻らしいが、孤影抄が藤澤作品の中では男女の愛欲や情といったものを如実に描いていたのに比べ、秋風抄は藩内の政争的問題が多く描かれている感がする。なので、いくつかの作品では本題に入るまでに少し退屈な時間を通らなければならない。
<br />武士の一分だけが必要以上に取り上げられているのは、木村拓哉の影響だけど、他のどの作品の中にも、必ずどこかにその一分は見つけられる。
<br />当時の美男子と現代の美男子とが一致するのかどうかは疑問であるが、藤澤作品の色と木村拓哉の色がどう絡まっているのかは観てみたい気はする。
今日ニュースで報道されていましたが、あんなの女の人はただキムタクが見たくて見に来ているだけでしょう。
<br />ずっと前から藤沢周平を読んでいる者としてははっきり言って不愉快です。
<br />もっと本質の藤沢周平が書いたものを見てもらいたいと思いました。