ノモンハン事件というと,無能な将軍・越権を意に介さない無謀な参謀と,絶望的な状況で死力を尽くした兵隊と・・・という図式がこれほどピッタリくるものはなく,詳細な戦闘シーンの描写が重ねられるのが普通のような気がする(五味川純平など)。
<br /> これに対し,本書は,そうした個々の戦闘シーンの描写は一切省いて,昭和14年5月から8月にかけての,全体としての歴史の流れを描写する方に力点を置いている。その結果,ノモンハン事件そのものの事件経過が把握しやすくなっている他,三国同盟や独ソ不可侵条約といった歴史の流れの中でのノモンハン事件の位置付けが理解しやすくなっている。陸軍と政府・天皇との関係も,丹念に描かれている(天皇にやや好意的過ぎるのではないかという気もするが,これは評価の問題であろう)。
<br /> すべての人に,是非一読を薦めたい一冊である。
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ノモンハン事件については、鎌倉英也著『ノモンハン 隠された「戦争」』(NHKスペシャルセレクション)以来です。戦場となり同士撃ちを被ったモンゴルの視点を踏まえた同書は、“ずたずたの当時のモンゴル人たち”という印象でした。『ノモンハンの夏』からは、まず、ソ連軍ジューコフ司令官にもその優秀さが認知されていた日本軍前線を指揮していた連隊長らが、戦死の運命あるいは戦後処理による自殺に追込まれた一方、同事件を独断専行し上記司令官からも「無能」と報告された関東軍の辻政信と服部卓四郎など犠牲の責任を負うべき一部の参謀たちが、同事件後の一時的左遷の後、1941年12月8日太平洋戦争開戦の時に陸軍の中央に返り咲く、それら二つの群像の対比。そして同参謀らに言わば翻弄され戦略的指導性を欠いた、当時の大本営・政府とその責任の浮彫り、という印象でした。当時ここに教訓を学ぶことなく、第2次世界大戦での敗戦と夥(おびただ)しい犠牲を生み出すに至る日本。昨今その開戦突入65周年を迎えました。史実に忠実にノモンハン事件を取巻く各指導層の動向に焦点を当てて描きながら、戦争を巡る指導者の責任を考えさせる作品となっています。
スターリンの質問に対し、ソ連の幹部はこう答えた。「日本軍の下士官兵は頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は無能である」。本書の要点はこれに尽きるのではないか。
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<br /> 権力は人の成長を止めてしまうのだろうか。陸軍のエリート層のように、一銭五厘の赤紙で召集される兵隊の命など歯牙にもかけず、天皇までないがしろにすることはないにせよ、戦後の官僚をはじめ各組織のエリート層も数々の不祥事を招いてきた。若い時の青雲の志はどこかに行ってしまうのだろうか。
<br /> また、なぜ自国の力を過信し他国の力を過小評価してしまったのだろうか。日本はバブルの時代にもう一度同じ過ちを犯してしまった。
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<br /> 人間は「歴史は繰り返すこと」を知っていても、それが自分たちの身には起こらないと思うものなのだろうか。
<br /> ノモンハンでの出来事だけでなく、いろいろなことを思い起こさせる一冊であった。
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