日本降伏は原爆によって引導をわたされたことになっているが、
<br />実態としてはそれ以前に南方での制空権を喪失した時点で、敗戦は確定して
<br />いたといえるだろう。
<br />B29での本土空襲を可能ならしめた硫黄島攻略はそのなかでもとどめの
<br />一撃でだった。遅くてもここで終戦処理へ向かうべきだったはづだ。
<br />すくなくとも都市空襲、原爆での何十万人もの民間人は死なずにすんだろう。
<br />ここでの米軍犠牲者の多さが、結局は対ソ参戦の状況とあわせ、米国の原爆
<br />投下という愚劣極まりない判断へと結びつくことになったともいえるのだから。
<br />本書は硫黄島での上陸作戦、死闘の様子も勿論えがかれており、引き込まれる
<br />が、なにより著者の父親の生き様がその白眉だろう。
<br />勿論、米国側からみた硫黄島ではあるが、兵站思想といい、戦費調達の方法と
<br />いい、米国を敵に精神論のみで戦を挑んだ日本がいかに無謀だったのかがよく
<br />わかる。いや、喧嘩にルールがあることさえしらなかったのがよくわかるだろう。
<br />硫黄島戦の戦略的意味や、海兵隊の独特の文化、栗林の立ち位置などはなかな
<br />か映画では表現しにくいかも。
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硫黄島で星条旗を掲げる兵士たちの写真は、史上、最も有名な戦争写真のひとつだといえると思いますが、当時、戦費調達に行き詰まっていた米国政府は日本への上陸作戦(ダウンフォール作戦)に向けて資金の準備するために、生き残った国旗掲揚者を戦地から呼び戻し、戦時国債を売るための愛国的な宣伝活動に使ったというのは知りませんでした。《一九四〇年代のアメリカの民主主義の概念では、戦争の費用は通常の連邦政府の予算外のものだと考えられていた》《戦時国債は、この自発的資金供給の主要な方法で、本来市民による政府への融資だった》(p.434)というのは驚きでしたね。
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<br /> しかし、もちろんこの本が描きたかったのは、そうした今となってはあまり知られなくなった情報ではありません。愛する息子、恋人が戦地に送られるということは家族にとってどういうことなのか。その死をどうやって受け入れたのか、あるいは乗りこえられなかったのか。さらには、英雄となってComing Homeしても精神医学の助けを借りられなかった当時、家族たもちも毎晩、うなされ、叫び、すすりなく夫や息子をサポートしなければなりませんでした。そうしたサポートをどう家族が続けたのか、あるいはサポートしきれなかったのか。とにかく、そうしたことを描いた作品です。しかも、その物語を書いたのが硫黄島で星条旗を掲げた6人のうちの息子で、しかも日本に長年滞在して太平洋戦争の歴史を学んでいたというのですから、奇跡的な本だといえるかもしれません。
「父親たちの星条旗」の鑑賞後、映画で描ききれない心情を感じ取りたくて、購読しました。 硫黄島の帰還兵の父が、生前硫黄島戦についてほとんど語ることがなかったため、さまざまな関係者の証言や資料に基づいた内容となっています。
<br /> 著者が日本で学んでいた経歴があるため、(日本兵の残酷さを表現する箇所はありますが)日本に対しての憎しみよりも、貧しい若者たちを戦場に駆り立て、帰還後も国債のキャンペーンに利用し、兵士たちの心の傷を省みなかったアメリカに対しての批判の方が強く感じられました。
<br /> 苦しみを胸に秘め、一市民として残りの人生を真面目に生きた父親への尊敬の念がこめられていると思います。