既に何十年というスパンで読み継がれている
<br />日本の文化とも言える傑作絵本。
<br />物語も素晴らしく、絵も素晴らしいです。
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<br />臆病者だった豆太が物語の後半意外な活躍を見せていますが
<br />その部分の圧倒的な描写には子供でも心を打たれることでしょう。
<br />よく分からないけれども、大切な人を守りたい、守らなくては、
<br />そういう当たり前の気持ちがきっと芽生えます。
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<br />一年生でも理解できますので三年の国語まで待たずとも
<br />お子さんの成長にとても良い本ですから
<br />できるだけ早く買ってあげて一緒に楽しんでください。
弱虫豆太が主人公。でも、臆病な人間にも優しさがあれば、勇気はある。それも、自分のことそっちのけで。モチモチの木の幻想的な世界を通して、そのことがよく分かる絵本。この人の切り絵はホントに素晴らしい。内容の良さを際だてている。子どもにじっくり読み聞かせたい本。
この物語のいいところは、豆太がジサマを助けた後も、相変わらず甘えん坊のままで終わるところだ。<br>よくある児童絵本ならば、「それ以来、豆太は勇敢な男の子になった」というように、教訓的に終わるかもしれない。しかし、そういう結末は、子供をありのままに受け止める余裕のない大人の「身勝手な希望的結末」だとも言える。<p>真の自立には、依存が不可欠だ。河合隼雄氏がこのことを明快に論じておられるのを見つけた時、胸のすく思いがした。<p>「自立とは、実は、依存を排除したところにあるのではない。十分な依存の裏打ちがあってこそ、そこから真の自立が生まれ出てくる。<br>子供を甘やかすと自立しなくなる、と思う人もいるが、確かにこの時、親の方が自立していない場合は、子供の自立を妨げることになる。<br>親が自立的であり、かつ子供に依存を許すと、子供はそれを十分に味わった後は、勝手に自立する。」<p>豆太は、ジサマを助けた後も、弱虫で甘えん坊だった。そんな豆太を、ジサマは丸ごと受け止め、信じ、愛した。<br>だからこそ、豆太は、オトウやジサマのように、たくましく優しい若者に育ったに違いない!と思うのだ。 豆太は、村一番の勇敢な猟師になったかもしれない。<br>豆太は「本当の自立は依存に裏打ちされている」ということを、自分の体験から知っている。<br>だからこそ、豆太もまた智慧のある大人に成長したに違いない・・・と思うのだ。<br>子を育てる智慧とは、そうやって親から子へ、子から孫へ、理屈じゃなく、体験として受け継がれるものではなかったのか。<p>日野原重明先生は「子育てとは待つことだ」と言っておられた。<br>私は「信じる」とか「愛する」とかいうこともまた、「待つこと」であるような気がしてならない。<br>特に昨今、日本で忘れ去られようとしている「子育ての智慧」・・・それは即ち、「愛する」ということの智慧に他ならない。<br>「モチモチの木」には、実は、それほど大切なことが描かれているのだと思う。