<br /> 原題("On intelligence: How a new understanding of the brain will lead to the creation of truly intelligent machines.")からわかるとおり、本書は神経科学の観点から脳について書いた本である。著者の1人はサイエンスライターで、日常生活上の適切なたとえ話が数多く示されており、著者の説が非常に平易に述べられている。翻訳も大変良いと思う。それに何よりも面白かった。
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<br /> 著者のジェフ・ホーキンスは、ハンドヘルドコンピュータPalmの生みの親として知られるシリコンバレーの企業家・技術者。大学等に勤める脳研究者ではない、というところが面白い。
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<br /> 著者の関心は明確で、(知能を実現する)脳のメカニズムを解明し、知能を備えた機械をつくること。方法論としては、ニューラルネットの次を考えているようだ。著者は、知能の本質を自己連想記憶による予測と見極め、そのような知能は、大脳新皮質の神経学的な構造に依存して実現していると考えている。同様の原理の働く同様の回路を人工物で構築することができれば、「予測する機械」もまた構築可能、というアイデア。ニューラルネット研究が満足な結果を生み出すことができなかったのは、それが、知能の本質を見誤っているから、また、大脳新皮質の実際の構造をモデルに組み入れていないから、ということになる。
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<br /> 著者自身も述べているように、本書で述べられている個々の知見は特に目新しいものではない。著者は、知能の本質は予測であるとの自説を展開することで、脳の働きを解明する上での指針を提唱しようとしている。著者のアイデア自体に興味がないとしても、人工知能研究・ニューラルネット研究の歴史と限界について完結にまとめてある冒頭部を読むだけでも、初学者には助けになるのではないかと思う。
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ヴァーナー・ヴィンジが<特異点>と呼ぶ現象がある(SFマガジン2005年12月号で翻訳が読める)。人類が、人類を越える知性を発明したら、その知性がさらなる高度な知性を生み出すことを妨げることはできず、結果、知性の向上は幾何級数的な速度で進行し、人類はあっという間に下等生物に成り下がる……という予測である。ありがちなSF的ディストピアではなく、十分に考えうる未来だと思うが、ヴィンジはこれを、2030年までに起きると予想している。
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<br />これを読んだとき、「2030年? ちょっと無理じゃね?」と思ったんだが、本書を読んで考えが変わった。ジェフ・ホーキンスは、おそらく今から20年くらいの間に<特異点>を生み出すだろう。それほど、本書が述べている「知性」の本質は直感的に正しいように見える。そして、いくつかの技術的なハードルさえクリアすれば、実際に人工の知性を生み出せるに違いないと信じられる。
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<br />そうして生み出された人工知性は、おそらく人類とは異質で、かつ、高度になる可能性を持っている。ヤバい。画期的なPDAだった「pilot(現Palm)」もヤバかったが、こっちはもっとヤバい。当局(ってどこ?)は、ジェフを逮捕監禁したほうがいいよ! ヤツを野放しにしたら、人類はおしまいだぁ!
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<br />……というくらい面白かった。いや正直、人類の時代はあと20年かも知れんよ。
読み終わってもわくわくした感じがなかなか抜けない。科学解説としても啓蒙本としても優れた、そして楽しめる本だ。
<br /> 著者はパームパイロット社やハンドスプリング社のCEOなので、最初は有名なハイテク会社経営者のお手盛り自叙伝かと思っていた。しかし企業家になったのは、脳に関する研究を実現するための手段だと言うからスケールが違う。日本ではなかなかこういう発想の人はいない。まったく失礼しました。
<br /> 行き詰まった人工知能、ニューラルネットワークの研究アプローチを否定し、「記憶による予測の枠組み」という考え方を提唱することから筆者の思考はスタートしている。本書では思考や知能が、どういうアルゴリズムや生理現象に相当するのかということを、脳内の信号伝達の仕組みから解説しているが、それが非常にシンプルで平易である。だからこそ著者のアプローチも信用できる。大いにその成果を期待したい。
<br /> コンピュータの将来や脳の仕組みや働きに興味を持っている方には一読をお勧めする。