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| 私が独裁者?モーツァルトこそ!―チェリビダッケ音楽語録
(
シュテファン ピーンドル
トーマス オットー
Stefan Piendl
Thomas Otto
喜多尾 道冬
)
CDを聴く限り、確かに彼が優れた指揮者であったことに、私は異存がない。しかし、彼がどんなに録音を嫌っていたとしても、何故か彼の公式録音(CDは駄目だが放送はいい、という奇妙な理屈)はカルロス・クライバーのそれよりも多い、という事実は、私を混乱させる。フルトヴェングラーに嫌われ、ベルリン・フィルに嫌われ、カラヤンの天下のもと、狷介に生きるしかなかった彼は、気の毒でもあるが、この言動の不一致は、彼が韜晦と自己顕示欲との狭間で板挟みになっていたことを暗示しているように思われる。
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<br />しかし、彼にはこれほどの暴言を吐く資格があっただろうか。この小さな本は彼の暴言集であるが、そこに含蓄は感じられない。実はもっとも精彩を放っているのは、トスカニーニに名を借りたカルロス・クライバーの有名な反論である(第5章)。何とすてきな反論だろう。
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<br />よく読むと、彼はチェリビダッケに、天国にははいれないと言っている。
<br />「この天国では・・・こだわるなど許されていません。・・・ここへくるよりも現世でなんとかうまくやり繰りしているほうがはるかにたのしいのではないか・・・」
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<br />訳文はおおむね読めるが、一部に変な表現がある。「夜郎自大」とは言うが、「自大野郎」(p.25)という単語は、少なくとも広辞苑には載っていないようだ。そのほかにも、意味の明確でない表現が散見されるのは残念である。たぶん、推敲不足だろうと思う。
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