この本はいい本です。これまで自分が読んだ音楽評論ものの本の中で一番いい。自分は正直デトロイトテクノの熱心なリスナーという訳ではなく、80年代ニューウェーヴとハウス系が好きなのだが、それでもこの本は何度読み返しても飽きが来ない。それは、テクノという音楽の背景にある生き方や哲学に著者の目線が向けられているからだと思う。
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<br />この本を貫くテーゼは「シリアスなダンスミュージックとは、社会的抑圧に対する(黒人やゲイなどの)マイノリティによるリアクションである」ということだ。もちろん、ダンスミュージックにもお金儲けの道具・子供騙しのおもちゃ・体に悪い砂糖菓子的なものも存在するが、それらと良質なダンスミュージックとの間に線を引くとしたら、おそらくそういった部分(作り手の動機や、音楽を媒介として伝えたかったメッセージ)が基準になるのだろうと思う。そしてそれは社会的抑圧によって傷つけられた心を癒したり、「自分は一人ぼっちじゃない」と気付かせてくれたり、生きる喜びを再発見するきっかけになったり、というポジティヴな機能を持ちうる。
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<br />ここまで書いてきてふと思ったのは、ゲイカルチャーや黒人文化においてダンスミュージックが担ってきたのと同様の機能を持つ装置を、在日や部落などの他のマイノリティの文化の中に見いだすことは果たして可能なのかということ。そういった「ガス抜き」の装置の有る無しで、組織的運動の中身は確実に変わってくるはずだから。
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<br />自分は社会運動が更なる抑圧を産み出す装置に転化しないためには、できるだけ「快」の刺激を取り込む必要があると考えていて、そうしないと結局全てマルクス主義者的な暴力肯定に至るような気がするのだけれど、そういった点でもこの本の内容は多くの示唆を含んでいると思う。
野田努すごい、である。<p>テクノの創生を描き流れを追って行く作業はもちろん評価してもしすぎることはない。<p>あるいは、デトロイトという都市(土地?)の背景やゲイカルチャーを文脈に丁寧に取り込んでいることを賞賛するのももちろんである。<p>しかし、もっとも評価されるべきことはハウスやテクノを「ブラック・ミュージック」の文脈に位置づけたことだ。<br>そのことを念頭に置いて読めば、野田の「まなざし」の変容もうかがえて面白い。<p>「ブラック・マシン・ミュージック」は『音楽』という枠組みを超えた、ひとつの記録だ。金をかけ時間を割く価値は十二分にある。
正直に言います。もうかれこれ5、6回は読みました。その度に目頭が熱くなり胸の奥にこみあげてくる物があります。ちょっと値段は高いですがはっきり言って元は取れます。人生のバイブルになります。<p>デトロイトテクノに至るまでの壮大な音楽史を総括して語るというのが一応のこの本の通説ですが、これはもうひとつの壮大な抒情詩です。この本には色々な人や逸話が出てきます。登場人物はそれぞれ音楽に対する考え方もやり方も違うし、「金のために音楽をやるんだ」という身も蓋も無いやつだっています。本当に誰もまだ聞いた事の無い音楽を作るために人生を捧げるやつピュアなやつもいれば、音楽を通じて「革命」をするやつだっています。そこには「ここにいるやつはみんな音楽を愛してる」なんていうような甘ったるい共有感なんてありません。ひとりひとりがそれぞれのしがらみや情熱や思いや欲望を抱えて音楽と関わっていき、ひとつの大きなうねりとなっていった「リアル」が圧倒的に存在するのです。まさしく本物の「ソウル・ブック」であることは間違いありません。デトロイトテクノに興味あろうが無かろうが、音楽好きであろうがそうでなかろうが心揺さぶる一冊だと思います。読んだ後何かをしたくなる事必至!!