”natural selection”に対応する訳がまずいな、と思う箇所が幾つか見受けられたのが残念だ。これは日本語で言う”自然淘汰”に対する語であるが、そもそも”selection"と”淘汰”の意味は異なっているという事を訳者達は意識しているのだろうか。勿論翻訳の段階で”選択”よりも”淘汰”の方が適当だと判断すればそのように訳せばよいのだろうが、(今本が手元に無いので具体的に何頁かはわからないが)例えば「猫の鳴き声は淘汰されて云々・・・」という件があり、この日本語から普通に考えれば、「猫・・・鳴くよね・・・」という疑問が生まれて当然である。このように読者を無駄に混乱させる文章が幾つか見受けられるのは如何かと思う。
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身近な例を挙げて遺伝子の性質を説明してくれているので、たいへんわかりやすいです。
<br />生物の知識がない方でも大丈夫。
<br />30年経っても内容が古びていないのは、普遍的な話が綴られているから。
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<br />この本の内容を友人に話したところ、生物にまったく興味がない人も興味を持ってくれました。
<br />文系にもお勧めできる一冊です。
誰も指摘しないのが非常におかしいのは、
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<br />「生殖能力を持たない(あるいは失った)個体の利他的行動は、ドーキンスの説をわざわざ引っ張り出さなくても説明できる」
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<br />ということである。
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<br />ミツバチの利他的行動はそれほど不思議ではない。それが生殖活動をしない個体によってなされるものだからだ。生殖活動をしない個体に限って現れる利他的行動は、その個体にとってなんら不利益になっていない。なぜならはじめから自分の子孫を残す気などさらさらないのだから。自分の子孫を残さない個体の生物学的な存在意義はないはずだ。ではなぜ自分の子孫を残さない個体が存在するのか。それは子孫を残す役割に特化した個体を守るためだ。働き蜂なら女王蜂を守るために存在する。「生殖活動を専門にする個体とその個体を守る個体を分けて役割分担する」のがミツバチの強みであるわけだ。生存本能の弱い働き蜂のような個体はなぜ淘汰されないのかと不思議に思う学者が多かったとドーキンスは言うが、そもそもこれは生殖しない個体に限って発現する利他的行動なのである。生存本能が弱ければ子孫を残せないから、結局淘汰されるんじゃないの? という指摘はそもそも成り立たないのである。
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<br />ミツバチのような利他的行動をうまく説明したのがドーキンスの考えだと言われる。この本の翻訳者も、ミツバチの行動は今までうまく説明できなかったがドーキンスによってうまく説明されたとあとがきに書いている。
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<br />しかしそもそも、生殖活動をしない個体が生殖活動を専門に請け負う個体を守る行動は、ダーウィンの普通の進化論の枠組みの中で、今述べたように十分説明できるものなのである。
<br />そのような行動に対して支離滅裂な論理をこねくり回して妙な説明を付けるドーキンスが滑稽だ。
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