西洋のラテン語、イスラム世界のアラビア語などと並んで東アジアのおける古典語、教養語である漢文から日本の文化を見直している。
<br /> 中国→朝鮮→日本というように一方的・階層的な関係でなく、相対化された相互的的関係の中でとらえなおされている。特に氏の古今東西の教養の深さ、広さにはうならされることが多い。
<br /> しかしそれでいて文章は読みやすく、絶好の日本文化史入門書と言ってもよい。
中国・朝鮮との関係を中心とした日本史を漢文を通して一気に振り返る。「西太后」、「漢文力」などで著者の博覧強記ぶりに舌を巻いたが、今回も古代から現代まで豊富に漢文を登場させ、周辺知識をたっぷり盛り込んで面白く料理した。印象が薄く、「本場の漢文に比べれば劣る」と思っていた日本漢文への見方を改めさせてくれる。
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<br />同書を読むと、言葉というものは政治的なものだということを、改めて思い知らされる。日本人は5世紀ごろから中国人と全く同じ漢文を書くことが出来たが、日本人向けには和風の漢文(和化漢文という)を用い、書き分けをしていた。訓読や漢字に複数の読みをつけるのは日本にしかないが、これらをつけたことで、日本人は漢字を自らの言語として消化することができたという。
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<br />中国との対等な関係を維持するため、高度な文明の証である純正漢文で堂々と日本の主張を記して送った。そして、日本の知識人は漢文の素養があり、純正漢文の知識があれば、中国人とも筆談が出来、千年前の文章も自ずと読めた。ベトナム、韓国でも高級言語だった漢文は時代や地域も越えた国際語で、実用の学問だった(西洋医学を学ぶにも漢文は必須だった)。西洋のラテン語のようなものだったと著者は言う。
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<br />江戸時代は本場中国より熱心に漢文を学んだ結果、幕末、漢字を使って西洋の概念を翻訳し、理解が早く進んだことで近代化は速く達成されたとする。これらの言葉は中国にも大量に逆輸入され、現代中国語の高級語彙の今でも日本製が半分を占めるという。また、「忠臣蔵」が朱子学を奉じていた綱吉への思想戦だったという解釈は面白い。
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<br />著者の漢文への愛を全編通して感じると共に、著者の見識の深さ、着想に感心させられるばかりである。
漢文というと、「国語のお勉強」=「つまらない」というイメージでしかなかったが、日本文化と漢文の関係、というテーマに惹かれて手に取った。「漢文の勉強」のつまらなさなどまったくなく、とても楽しい本だった。
<br />知っているようで知らなかったことが満載で、新書ながら豊かな内容を持っている。日本史について、もう一度違った角度からの視点を手に入れることができるし、私たちのルーツについて、想像力をかき立てられる。