「ゆえなしとはしない」など別にこんな言い方をしなくてもいいと思うような部分もあります。法律学者の文章を読んでいるみたいです。この著者の『20世紀絵画』でもそうですが、こういう言葉遣いで損をしている部分はあります。読みなれていない人はめんどくさくなってやめてしまうでしょう。
<br /> とはいえ、現代音楽を専門に紹介した本はあまりないので、その方面にアプローチするための知識を身につける本としては使えるでしょう。
<br /> 難をいえば、オペラの筋書きだけやたらと詳しく、より知名度が高いと思われる作曲家についてあまり詳しい説明がないことです。プーランクやファリャといったれっきとした20世紀の作曲家について何も触れていないのはいかがなものか。ドゥビュッシーやヒンデミートという言い方もあまりしないです。
<br /> 現代音楽は豊かな世界であり、少しでも多くの人に知ってもらおうという熱意は買えます。今後、CD選びの際に参考にするつもりです。
『迷走する音楽』と同様に、ただの紹介本でしかない。
<br />作曲家一人ひとりをサラッと取り上げて、楽曲紹介をしているだけだ。
<br />ある程度知識を持ち、聴きなれている人間にとっては物足りず、また初心者にとっては
<br />入門と呼ぶには敷居が高く非常に堅苦しい印象を受ける。
<br />どんな人間を対象として書かれているのかが不明解で、そのために中途半端になって
<br />しまっているのではないだろうか。
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<br />今後、宮下教授にはぜひ、初心者向け、中級者むけ、上級者向けのように段階ごとに分けた
<br />ものを期待します。
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「壁」を壊して、20世紀音楽を使って20世紀という時代に向き合った宮下氏を評価します。いわゆる「右翼的」や「左翼的」というレッテルがあります。確かに各々の作曲家は時代や国家体制に「忠誠」を尽くし、他者に対する暴力を支えたという事実はあります。しかし、「罪ある」作曲家たちの曲を全否定するのは、21世紀の今となっては、「旧時代」的思考のように見えます。彼らの曲を全否定して全く聴かないということではなく、純粋に音の観点からその曲を積極的に聴いて、批評していく時代になったのだと私は考えます。20世紀を歴史的に記述するに当たって、「罪ある」人たちと対峙することが重要なことでしょう。つまり、音楽の面で考えると、それぞれの作曲家の「罪」を常に追求し、常に記憶する。その上で彼らの曲を「音」として自分の内に受け入れ、批評していく。こうしたプロセスを経ることで我々は音楽における20世紀という時代を記述できるのだと思います。
<br />注文を一つするとすれば、本書の構成は多少堅苦しい感じがします。しかも20世紀という「重い時代」のことを考えなければいけないので、読者の中には途中で本を閉じてしまう方もでてくることが予想されます。途中にコラムなど「軽い」話題などをつけるなど、読者に対する配慮が必要だと思いました。宮下氏は、現在のクラシック音楽を「教会音楽」のように閉鎖的だと述べておられます。宮下氏が苦労して書かれた、せっかくのこの新書も「教会音楽」になる恐れがあると思います。
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<br />何はともあれ、宮下氏に「ご苦労様でした」という言葉を送ります。