筆者の森達也さんは、テレビのドキュメンタリー番組のディレクターです。
<br />1999年11月6日の深夜に放送されたフジテレビの「『放送禁止歌』〜歌っているのは誰?規制しているのは誰?〜」という番組製作の過程で知り得たことに加えて、いろいろな取材を通して知り得た情報をこの『放送禁止歌』というタイトルの本にまとめました。
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<br />当方は筆者の2歳上ですので、その問題意識や時代感覚は共有しています。
<br />自分自身の青春時代を振り返りながら、1970年代にあれだけ支持された岡林信康の「手紙」や赤い鳥の「竹田の子守唄」が何故放送禁止になっていったのかを知りたいと思うのは当然です。
<br />そのあたりの経緯に付きましては、藤田正著の『竹田の子守唄―名曲に隠された真実』に詳しく記されていますので、併せてお読みください。
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<br />この『放送禁止歌』の取材の過程で、「規制の事実」というものは、放送局内の者たちが状況を理解しないまま、それらの作品を「タブー」扱いしたことから端を発したことを知りえましたし、メディアの世界のいい加減さに呆れもしました。
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<br />なお、本書に収録された「放送禁止歌」の作品の数々に久しぶりに再会できたのはうれしかったですね。註釈も詳しく、フォーク世代にとってそれらの作品は青春の思い出とオーバーラップします。
<br />1970年代に青春時代を送った方々には是非オススメしたい著作だと思います。
森さんの文章には、どうも人を惹きつける何かがある。決して、上手い文章というわけではないし、どちらかというと、ごつごつしてて、あんまりスマートじゃない、と僕は思う。でも、すごく惹きこまれる。
<br />多くの学者のように読者に何かを教示する、みたいな雰囲気は全く無い。自分のなかに存在する疑問から出発し、自分で感じ、想像し、悩み、いろんな人に会いに行き、話しを聞き、そして最後まで自分で考え抜く。それが、直に伝わってくる感じ。
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<br />食事に例えるならば、高級なフランス料理のフルコースで、メインを務めるような「鴨肉のブルゴーニュ風○○、季節野菜を添えて(こんなのない?)」とかではなく、森さんが包丁もって、生きた鴨を追い回し、僕の目の前でそいつを屠って、羽をむしり、火であぶって、がつがつ食べてる感じ。隣で眺める僕に気づいて、「欲しいのか?ほら、食べてみなっ」って手渡してくれた感じ。
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<br />世の中には、どうしてテレビで流してはいけない歌があるのか?誰が規制してるのか?
<br />この本にある歌のほとんどを、僕はいままで知らなかった。知らない、ということも知らなかった。
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<br />いろんなことを考えさせられる本だ。後半、森さんは放送禁止歌から、被差別部落の問題へと入って行く。僕は、ただ森さんの背中を見てるだけだ。森さんが振り向いて、「お前も自分で考えろ」と言ってるような、そんな気がする。
わかるようで、よくわからない「放送禁止歌」とは何かを追ったドキュメンタリー。いかにも映像作家らしい題材である。この作品も映像化が前提だったので、他のドキュメンタリー作品と同様、放送禁止歌とは何かを探し続けて彷徨う彼の姿が描かれている。
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<br />著者はこの作品を通じて、部落差別の本質を理解せず事なかれ主義に逃げ込むメディアのあり方を憂いながらも、そこに属する人が変わっていけばメディアも変わる、彼らが変わらなくとも、視聴者や購読者というマーケットが変われば、彼らもそれに追随する。…僕はまだ絶望していない、と記している。青臭い考えかもしれないが、その通りなのであろう。
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<br />著者はこの後も、メディアのあり方や言論のあり方、更にはナショナリズムを論じようとする著作を発表していくのだが、独りよがりといえる作品が多い。そしてトラブルが絶えない。著者はそれも作品の中で明らかにするのだが、相手に非があるとは思えないものが多い。その最たるものが「下山事件」で証言者に証言の虚飾を批判され、反論とも言える作品(柴田哲孝著下山事件最後の証言)を出版されたことだろう。そのような人物にメディアを語る資格があるのだろうかと疑問に感じる。
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<br />とはいえ、この作品は「職業欄はエスパー」とともに非常に出来がいい。“映像の世界の住人”であり著作もそれを基本としている彼にふさわしいのは、こういった、みんなが知っているようで知らない身近な題材を通じて何かを伝えようとする作品だと思う。風呂敷を広げすぎてはいけないのである。
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