心の清浄道とも呼ばれるヴィパッサナー瞑想。<br />この本については、瞑想用テキストとしては贅沢すぎるくらいの本かと思います。<br />星5つ以上の本と言えますね。
この本のまえがきに、「瞑想の世界を理論的に諒解しただけでは、知的情報がデーターとして加算されるだけであって、心は何も変わりません」とある。つまり、瞑想法は実践の学問であると言える。何の為に?―自分を変える為である。自分の何を変えるのか。自分の見方・考え方、つまり<今まで生きてきた自分という存在そのもの>を根底から変える為である。
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<br /> 東大を筆頭に多くの知的集積がある。学問の集積である。知識である。その知識は、人を根底から変える知識でなければならないはずだ。
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<br />幾多郎・大拙・漱石・賢治・克己・元豊らの先人の行き着いた地平がこの本を実践することによって、切り開かれている。知識・いのちの実践の書である。いのちを商品化している商業仏教とは縁のない実践である。
かなりマニアックな著作かと思いきや、けっこう広く読まれているみたいですね。
<br />私も仏教書は色々と読んでいますが、本書は山のような仏教書の中でも、特にきわだっている感じがやはりします。日本仏教に馴染んでいる人間には、目からウロコな新しさと素敵さを感じさせてくれるヴィパッサナー(まだ上手く発音できない)瞑想、といえばスマナサ−ラ長老の深遠で明快な著作で十分なんじゃないの、と最初は思いましたが、間違ってました。なにより、悩める普通の日本人(むろん、もともと頭のいい人なんでしょうが)が一生懸命にこの瞑想法の奥義を会得し、それを多くの人に伝えるための工夫をしてきた結果、うまれてきたのがこの本、というのがポイントでしょう。瞑想により得られるメリットから(究極的には〈安心〉ですが)、ありえそうな疑問(欲望なくしたら人間らしくないんじゃない?とか)まで、本当にわかりやすくて、自分の身心にストンと入ってくる。
<br />あと、「あとがき」がちょっと感動的でした。できれば本書を全部よんでから、瞑想の意義を理解した後で読んでほしいですね。著者の仏教に対する本気さが、しみじみと味わえるのではないかと思います。