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| ひきこもれ―ひとりの時間をもつということ
(
吉本 隆明
)
『ひきこもれ』とは何と魅力的なタイトルだろう。これだけで☆2つ。
<br />中身は最近の吉本の本の通例で「語りおろし」なのであるが、ある意味で吉本思想の凝縮と思われる面が強い。
<br />好々爺とした柔らかな語り口だが、このタイトルには意外に強烈な現代への批判があると感じられた。
<br />まず、何よりも「ひきこもり」を解決しようとする学者やカウンセラー、ジャーナリズムや善意の大人に対して、「ひきこもり」がまっとうであることを宣言している。ここにはリアリズムがある。厳粛を装った欺瞞に対する「否」。学校に対しても、教育に対しても、それらに幻想を抱いている親に対しても。
<br />そして、最近の「ポジティヴ・ビジネス・カルチャー」に対する「否」。
<br />「ひきこもれ」の文句は、たとえば山形浩生あたりが何をトチ狂ったか絶賛している関満博の『現場主義の知的生産法』はじめ、数多くの「前向き」「思考停止」ビジネス書とそのカルチャーに対するアンチテーゼとなっているのだ。
<br />違和感を持ってしまう話題も少々ある(「幼児期決定論」ともいうべき人間の生理に関する主張など)。しかし、おそらく真意は別のところだと思わせる。
<br />面白かったのは、『君が代』や『インターナショナル』は絶対歌わないというくだりで、「民(たみ)が代は」というところ。そして「自然死をするには体力がいるので、老人は体を鍛えている」というところ。小1時間で読めるが、考えさせる本だ。
<br />あと市民運動に対する嫌悪は、やはり吉本節。大いにうなずかされる。
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