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| 会計の時代だ―会計と会計士との歴史
(
友岡 賛
)
会計について解説した本は数多くあれど
<br />会計の歴史について一般向けに解説をしている本は珍しい。
<br />世界史の流れの中での会計史に興味がある人には打ってつけ。
<br />
<br />期間計算、発生主義などの会計上の基本的な概念や会計士の制度が
<br />どのような社会的状況の要請から生まれ、発展してきたのかを
<br />時系列に沿って知ることが出来る。
<br />
<br />難点を言えば、本文が傍点、句読点、括弧の多様と独特の文体なので
<br />人によっては読みにくい印象を持つ恐れがある。
<br />
文豪ゲーテは、複式簿記のことを「人類最大の発明」と言ったとか。役人時代のことであろうか。時代は「疾風怒涛」=シュトルム・ウント・ドランクの頃。ベートーヴェンは文字通り「シュトルム=テンペスト」と呼称されることになるピアノ・ソナタを作曲することになる。経済活動も怒涛の展開、まさしく疾風のごとく変転する。
<br />17世紀の海洋交易で栄えるイタリアで生まれた複式簿記は、産業革命を経てオランダで「期間計算」の概念を備え、18,9世紀にはイギリスで「発生主義」の会計が発明される。これまさに、世界歴史そのものである。
<br />我々が日常的に、それが存在しないことなど夢にも思わず、当然の前提として扱っているもの。そのなかには、たとえば複式簿記などの会計概念も入ってくるだろう。組織のDNAと言っても良いのかもしれない。しかし、近年喧伝された「会計ビッグバン」などというものは当為(ゾルレン)のものなのか。こうした疑いを持たなければ歴史の本当の「進歩」はあり得ない。
<br />起源への問いはまた、人間の止み難い欲望でもあろう。
<br />「会計とは何か、会計の歴史をどうみるか」という本書の問いかけは、『哲学史講義』のヘーゲルにも似た志向性を持っている。数多の会計解説書、入門書の類が刊行されているが、本書はこのスタンスによってまことにユニークなものになっている。
<br />歴史的な考察を辿ることで、各種会計概念の背景が理解できることも有難い。
<br />実用性はどうかと言われるとちょっと戸惑うが、この問い自体に注意を促しておこう。近年の企業会計の場では、コンピュータ会計が全盛、その主流を占め、「会計に複式簿記の知識は要らない」とまで言い出す税理士の著書が刊行されている。しかし、そんなことは「わざわざ本で書かれるまでもなく常識だよ」というのが現場の本音なのだろう。多くのPC会計ソフトがニッポン全国の企業で不可欠となっているのである。それを使用する大半の経理部員たちは、当然にも「会計概念」になんぞかかずらうことはない(しかしながら、ゲーテが言った言葉の本当の意味を深く再考してみなければならない)。
<br />評者はここに現代の思想的な典型、批判力を失った労働者の「社畜」性を見てしまう。これは「思想の危険」というもので、ケインズが言った「怖ろしいのは思想である」という言葉が想起される。こうした無意識・自動化に根ざした労働は、労働者の思考を麻痺させ、時間単位の作業生産性の向上と引き換えに、多くのものを失わせているのではないか。当今流行のネット社会礼賛本『ウェブ進化論』は、この思考停止状況の最たる象徴だ。まことに資本にとって、うってつけの労働者、時代思潮というわけである。こんな状況に対して、「現実的なものは理性的である。理性的なものは現実的である」などと言って、済ましているわけにはいかない。
<br />拠るべきものは、歴史的事象の他はない。根源に遡及し、それがゾルレンであるのかないのか、背景を探っていくしかないのである。会計はその恰好の、また必須の対象である。
<br />著者の友岡賛は、会計制度の歴史学派とも言うべき存在であり、これまでも人間が作り上げた極めて政治的にして実用的でもある会計の根源を辿る著書をものしてきた。今回の新書での登場はこの危機の時代にうってつけ、啓蒙的な役割を存分に果たして欲しいものだ。
<br />因みに最近よく言われる厭らしい言葉、「ビジネス・パーソンに会計知識は必須」なんぞという掛け声は、会計の「概念的把握」を意味しているものなのだろうか。評者には大いに疑わしい。もし、概念レヴェルでの理解を勧めているのであれば、まことに結構なことであり、本書は『美しい国』や『さおだけ屋』や『ウェブ進化論』並にとはいかなくても、腐れ自己啓発書以上には売れるはずなのだが。
<br />実用性を一旦廃した地点での思考を辿らなければ、本当の現実の岩盤には達せられないのだ。
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