<br />「プロフェッショナル」といっても、
<br />戦略系コンサルの実態を書いただけ。
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<br />短いエッセンスを何度も繰り返し説明した内容も冗長。
<br />期待外れ。
士業をプロフェッショナルと解釈される向きもあるが、資格や制度に守られることの無いコンサルタントについての書である。 猫も杓子もコンサルタントと肩書きがついてしまう今だからこそ、本書の存在意義がある。
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<br />原論であるがゆえに、著者の伝えたいことをそのまま受け止められない方が多いのではと感じる。 現実社会において、著者のプロフェッショナル像を維持していくのは難しい。 しかし、この本に書かれている様な、掟、ルール、行動特性などを重んじることのできない方は、プロフェッショナルではないし、プロフェッショナルになることは無いだろう。 完全でなくとも、これらに向かう意思を持ち、取り組むことこそがプロフェッショナルなのではないか。
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<br />著者のような強いプロ意識がないと、気が緩んだり、言い訳をしたくなるが、弱気になったときに、再読し魂の炎に燃料を注ぎたい。
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<br />あとがきに、なぜ本書を書いたかの動機が記されている。ここは必読だ。あとがきから読んだほうが、すんなりと意図が読み取れるかも知れない。
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<br />なんとなく、コンサルタントに憧れている方は、道を誤る前に読むことをお勧めする。
実は著者の波頭氏の顔が旧友に似ているから買ったというのが真相なのだが、ちょうど混迷する医療の中でいま一度自分の仕事の本来の位置づけを見直してみたいと考えていたところだったので、夢中で読んだ。本書の中でなにかと引き合いに出される医師という職業に就くものとしては、やや気恥ずかしくなるほどのプロフェッショナル礼賛の書である。そこに描かれているのは通俗的な美意識に裏打ちされた職業的ストイシズムと、絶対不可侵の強烈なプライドである。波頭氏は私のような「町医者的な医師」のことは念頭にないのかもしれないが、プライマリケアの仕事もスペシャリストとしての専門医以上にプロフェッショナリズムに裏付けられたものだということは申し上げたいと思う。すなわち、本物のプロフェッショナルは自然体の形で業務を遂行するものであり、自分が専門家であることをさほど意識しないのである。これは逆説的に聞こえるだろうが、「外科医魂を持った外科医は、身体の中のメスの入るところはどこにでもメスを入れるものだ(適応と機会があれば、手術の部位を選ばない)」ということを思い描いてもらえばいい。逆に「自分は内視鏡はできても、腹部エコーはできません」という消化器内科医はプロフェッショナルではない。しかし、医師の世界では手術するレパートリーの狭い外科医や大腸ファイバーだけを行う内視鏡医のほうが地位は高い。いや、それどころか、現場の泥臭い仕事をしていたのでは、医学の進歩につながらないということで、研究職こそが一流の医師であるとされてきた。これは皮肉にも目の前のクライアントの持ち込む問題を解決するよりも、自分の技量に合わせてクライアントを選択したり、実学よりも理論を重んじるという姿勢である。これが著者がプロフェッショナルの範としている医師の業界の実態であり、本書に面はゆい想いがするのである。