アレントの代表作として名高いこの著作、文庫で読めるのは
<br />大変ありがたい限りです。公/私的領域を新たな視点から捉えなおした
<br />論述や、action・work・laborの価値の転倒という斬新なテーゼが特に
<br />印象に残りました。ハイデガーの弟子(かつ元恋人)というだけあって、
<br />膨大な教養に裏づけされており、政治学的な色彩が強いと同時に、秀逸
<br />な哲学書としても読めると思います。
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<br />翻訳なんですが、アレントのあの読みづらい英語をここまで読みやすい日本語
<br />にした力量には頭が下がります。名訳だと思います。しかし、気になった点が
<br />ないとはいえないので少々。
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<br />・全般にわたってactionを活動と訳しています。actionはpraxisの訳語とアレント
<br />自身が述べているので、praxisの定訳といえる「行為」と訳したほうがよいのでは。
<br />
<br />・power、force、strengthが権力、実力、体力と訳してあり、かつ入り混じって
<br />用いられているので、原語と照らしあわせないとちょっと判りづらいかもしれま
<br />せん。ここの訳し分け大変だろうなぁとは思いますが。
<br />
<br />また、これだけの大作ですので、索引があるとよかったのになぁという感じです。
<br />だいぶ読むのが楽になるかと思います(原著には有)。それと気のせいか脚注だけ訳
<br />が余りよくないような気がします。脚注で邦訳のある著作には邦訳のページ数もつ
<br />けてほしかったです。
今流行の「公と私」とか「公共性」を考える際に外せない本です。<br> まずアレントは人間の行為と三つに分類しますが、この労働、仕事、活動という分類は、マルクスに影響を受けたものであることは明らかでしょう。それにからめて、ギリシャ時代の「公共性」の概念について議論が展開され、近代になってこの構造が崩れてきたことが述べられています。しかし、いろいろな論者が述べている通り、単純に「公共性の復権」を訴えた著作である、というのは誤読ではないか、と感じています。<br> わたくしはアレントのよい読み手であるかどうかはわかりませんが、彼女の著作に共感を覚えている者としては、他の著作に比べて現代日本においての重要性は落ちるような気がしています。<br> その理由は、近代民主主義が成立する以前の日本の構造が、ここでアレントが呈示している古代ギリシアのそれとは異なっているということが大きいと思います。ここで展開されている公共構造の転換というものは、日本においては必ずしも当てはまらないのではないでしょうか。<br> しかし、このアレントの議論をそのまま日本に当てはめるという愚さえ犯さなければ、その筋道を追うことはこの問題について考えてゆくうえでのヒントを与えられることになるのは間違いないでしょう。
(;'Д`)ハァハァ読んでみたんだが、よくわからない本である。分かったやうにもなれるが、その実 よくわからない。<br>哲学というものは大体において、そういう傾向があるのかもしれない。<p>労働 仕事 活動の3つを人間の条件としてあげている。<br>人間は社会性を持つ生き物という事である。<br>ニートは労働や仕事をしていないので、人間とは(厳密な意味で)<br>言えない。<p>しかし素晴らしい名訳である。原書は読んでいないんだが、まるで<br>本人が書いたのだと思われる程 文章が生き生きしている。