クオリアが何かわからなくて読んでみた。
<br />クオリア研究者は、基本的には、今までの科学者と同じように「唯物論」に
<br />軸足を置いて研究している。だから、脳の働きが、ちゃんと科学の法則に従って起こっている
<br />ことも認識している。
<br />しかし、分子生物学者や、医学生理学者、物理学者と研究のアプローチが違うのである。
<br />上記科学者たちは、脳の素過程をミクロに知ろうと研究している。
<br />しかし、クオリア研究者は、そういうアプローチに否定的である。むしろ、心の現象論的
<br />アプローチを取ろうとしている。外界からの脳への刺激に対して、脳が反応し、質感を
<br />える。それがどういうミクロな素過程の集合化はおいておいて、とにかく「クオリア」
<br />と名づけて研究してみようということらしい。
<br />基礎心理学に近いかもしれないが、ちゃんと、脳の活動を、唯物論的に捉えた上での
<br />現象論であるから、クオリアも科学であるのだろう。
クオリアという言葉の意味が知りたかったので、そのまんまタイトルの本書を購入した。
<br />氏は脳科学者という認識で読み始めたのだが、果たしてこれは科学なのか!?
<br />科学者の思索を書き留めたエッセイなのかもしれない。といっても、倦まず読ませるほど文章は巧みではないが。
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<br />心象=クオリア、主観性=志向性(ポインタ)
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<br />という2つの言葉のラベル付けをしたことはわかる。あとの大部分は氏のメモ書き、思索の反芻に近く、科学的論説に入る前の段階だろう。それを検証、実証してこその科学と思うが、その期待に応える部分は残念ながらなかった。
<br />先のレビューにあったように、序章(と加えて結びの「心の見取り図」)がほぼ要旨で、途中は先人の実験や説を引いて、なぜそういう思索に至ったかの過程がつらつらと書いてあるだけである。
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<br />物理学の理論を「考え方が似ている」だけで、脳科学に当てはめるのもすんなり腑に落ちない。相互作用同時性をニューロン伝達の時間を無にする説明に、またツイスター理論を複数の発火クラスターを1点に集約する説明に援用している。単なるアナロジーでなく、方法論として脳科学に援用する理由がわからないのだ。
<br />
<br />感覚的に似ているだけでうまくいく可能性があるなら、錬金術とどこが違うのだろうか。もっとも錬金術が化学に貢献したことを考えると、研究のとっかかりとして決して否定的に評価されるばかりではないことはわかる。まだまだ緒についたばかりということはよくわかった。あとは、この耳あたりのいい言葉を、誰かが情熱的に実証してくれることを願いたい。
気の利いた読者なら、途中まで読んで「ポインタ」あたりで、
<br />おいおいこれはフッサールじゃないのか?ときづくはず。
<br />そのとおりです。著者も主観性を説明するキーワードとして、
<br />「ポインタ」をブレンターノの「志向性」に近いものとして
<br />再発見しています。
<br />
<br />「クオリア」という概念には、まだ幾分かつての「不変のセ
<br />ンスデータ」の香りがのこっている気がする。
<br />冒頭あっさりウォーフの仮説を否定するあたりは、まだ意味
<br />に対しての本格的な視点はないように思える。
<br />
<br />「マッハの原理」も脳の範囲に限られ、「感じ」といった内
<br />臓感覚的なものに対する視点がなく、脳自身が重層的な身体
<br />システムの1レイアであることが捨象されている。
<br />そのうちメルロポンティあたりを再発見するのでしょうか。
<br />ゴールドシュタインとともに。