人間とは何か、司馬文学の脊梁となっているものは、「人間知」である。例えば、2006年大河ドラマ「功名が辻」における山内一豊とその妻千代は、男と女のあり方を教えられる。
<br /> 千代は、利口さを、「無邪気」で擬装していた。利口者が、利口を顔に出すほどいや味なものはないということを、この娘は、小娘のころから知っている。だから、たれからも愛された。
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<br /> 男には、女に対して二つ型がある。それは「猟師型と農夫型」であると、同作品で次のように比較している。
<br /> 猟師型は女色家といっていい。たえず,未知なものにあこがれ、獲物を一つ獲ては,〈さらに他に大きなものが〉と思い、あこがれ、冒険心をかきたて、ふたたび山に分け入ってゆき、つぎつぎとあくことを知らない。女好きというのは、決して道徳感覚が欠如しているということではない。普通以上に、未知へのあこがれがつよく、冒険的行動欲がさかんだというだけのことである。
<br /> 農夫型はそうではない。十年一日のごとくわが畑をたがやし、くわ先にあたるその土のきめ、においになじみきり、その定着的生活になんのうたがいも示さぬばかりか、もし土地を変えて他村へ移れといわれれば目の色をかえていやがる。
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<br /> その他テーマは「組織から社会へ」「夢と生きがい」「日本と日本人」等、作中の名場面名セリフが抜粋されていて楽しい(雅)
幼少の頃から司馬遼太郎先生の著書を愛読してきたのですが、最近は遠のいておりました。大河ドラマで「功名が辻」をするというので、無性に読みたくなり、真っ先に手に取ったのがこの一冊。日本人にはたまらない、名文がこれでもかっ!と詰め込まれています。この一冊は、私が初めて部下を持ち、一つの組織をまとめ収益を上げるといった状況に直面した時に常に手にしていた一冊。Machiavelliの君主論が結論まで明らかにしているのに対して、司馬作品は、歴史を題材としているのに、あくまで現在進行形。全てが生きている。私たち次第といった感じでしょうか。だから、頭にも心にも入りやすい。「時勢は利によって動くもの。議論によっては動かぬ。」そりゃ、そうだ。で、あなたはどう動く?と言った具合に。
凄い人物である
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<br />下手な学者の書いた心理系・啓蒙系を100冊読むよりこの一冊という感じだ
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<br />その全てのコトバに背景がありより深くより濃く感じたければ引用された著作を読めばいい
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<br />少なくとも自分は司馬氏がいなければ日本の歴史を知ることはなかった
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<br />こういうのを人物というのかもしれない。おなじ内容の言葉をしゃべっても、その人物の口から出ると、まるで魅力がちがってしまうことがあ
<br />る。人物であるかないかは、そういうことが尺度なのだ。
<br /> 「竜馬がゆく 一」