書くためには、その何倍も読まないと、内容が希薄になるという主張。同様のことは、立花隆氏も『ぼくはこんな本を読んできた―立花式読書論、読書術、書斎論』に書いておられる。
<br /> 福田氏の主張では「もの書き」として如何に読むかに主眼がおかれ、立花氏の方は飽くなき知識欲に依る膨大な読書量がありその先に少し書く。そういう意味では、福田氏のこの本には悲壮感も感ぜられマイナス要素としたいが、「もの書き」も大変なんだなと具体的に知らしめた点では評価できる。メモ書き取りなど読み方の工夫は、参考になるところもある。
何かを書く、表現することを前提とした読書をはじめとする情報の獲得術、整理法を説いた本である。表現するのと読むのは、あくまでもセットであり、どちらか一方の技術が知りたくて読む本ではない。だらか、タイトルは「一月に300枚書くために、100冊読む方法」と読み替えた方が分かり易い。
<br />
<br />多くの貴重な技術が書かれている。例えば、読書に際してはポイントを絞り、それを厳格に守りながら読むこと。そして将来の表現に向けて、必要な点を抜書きすること。この抜書きには「手書き」を薦めている。この抜書きを本書を読んで以来実行しているが、面白い技術である。不思議なほど、読むのとは異なる頭の動き方をするのだ。多くの人が学生時代の試験勉強でも書いて覚えただろう。あれは意味があったのだと実感するほどに、文章が頭に入る。このように一つ一つは細かい工夫だが、長い時間をかけた工夫の積み重ねの上に彼の能力が成り立つことを実感した。
<br />
<br />しかし、最も大事なのは表現することを強烈に認識することだ。しかもテーマは編集者など他人から与えられるものだという。この点は、ごく普通の人にとって真似のできないことだ。しかし、テーマを持ちそれを常に認識することが核心と感じた。だから、彼のように300枚書くには、表現するテーマを個人で多く発明する必要があるのか? まあ、それは難しいとしても、自身のテーマを探しつつ、表現する必要性を見付けないと書く能力向上は難しいと気付いたことが、私にとっては最も意義のあることだった。
<br />
<br />沢山書くこと、読むことに憧れる(コンプレックスを持つ?)人には、様々に考えることが多い良書である。私も何度も読み返しながら、考えが深まっている。
<br />
気前よく自分の培った技術をさらけ出してくれている点は良い.しかも,紹介されている技術が極めてシンプルで,読んだ日から誰でも真似ができる.しかし,それですぐに文章が書けるようになるかといえば,(当然ながら)あり得ない.著者がこれらの技術を身につけるに至った裏には,相当な努力と訓練があったはずだ.著者は,本屋での「立ち読み」を薦めているが,この本こそ,そのシンプルさ故,「立ち読み」向きと言えるかもしれない.そして,いざ要点をつかんだら,あとは練習あるのみ.最後に,著者は,一月300枚書くと言うが,この本を見ると,一行ごとに改行し,枚数をかせいでいるのが分かる.これも技術のうちか.
<br />
<br />