「オリエンタリズム」という語には表面的意味合い―東洋学、東方趣味―とは一線を画す、潜在的観念―西洋の東洋に対する支配の様式―が込められている。本書は、私たちが漠然と使用している言説について(善い意味で)釘を打ってくれる一著である。本著書についてのレヴューは枚挙に暇がないので、私は少し違った観点から考えたいと思う。
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<br /> 訳者の今沢氏は「あとがき」で、日本の特異なオリエンタリズム構造を次のように指摘している。日本は西洋から観て地理的・文化的に客体=観られる側である。それにも関わらず、日本は19世紀末葉以降、欧米列強を模範とし、西洋側の視点―オリエンタリズムの主体=観る側―へと変容した。確かにその点では、本書は日本に対しても警鐘を鳴らす肝要な著作である、といって差し支えないだろう。しかし、(著者が特別視しているイスラーム世界に関して言えば)日本こそが「オリエンタリズム」を打破できる、西洋に打って変われる存在なはずなのである。日本とイスラームは地理的・歴史的にこれまで疎遠であったが、それこそがパラドックスとして、「オリエンタリズム」がこれまで表象してきたものとは違ったアプローチからイスラーム世界を概観し得る要素なのである。
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<br /> そして、故サイード氏は末尾で次のように語る。「専門分野の境界線をいっそう大きく踏み越え、クロス・ディシプリナリー(学際的・横断的)な」視点を持て、と。この言辞は学者(学生)のみならず、現代に生きる一般の我々にも問うている重要な一句なはずだ。
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<br /> 「オリエンタリズム」という概念以上に、様々な事柄を教授してくれる。決して容易な著書ではないが、是非ともお薦めしたい。
先日(二十四日)、E.サイードが亡くなった。<br>享年六十七才、死因は白血病だったという。<p>本書は「オリエンタリズム」という言葉に含まれた、<br>多分に西洋的なものへの批判文だ。<br>その思想史上の偉大さは、今さら私が語るまでもあるまい。<br>我々からして既にこの本を西洋的な目で見ている――。<br>そのことに気付いた時、必ずや得るものが有るだろう。<p>言い方は悪くなってしまうが、これを機会に一読をお勧めする。<p>それにしても惜しいひとを亡くしたものだ…。
オリエントは東方の他者として存在するのではなく、オクシデント(西洋)の中にこそ存在する。オリエントとは、支配者と従属者、この力関係の中でオリエンタルなものとされた、現実と完全に符合することの無い他者イメージであった。本書ではいわゆる西洋と東洋の認識の中で書かれているが、様々なシーンに適用可能な、例えば日韓関係を考える上でも重要となる感覚がちりばめられている。我々の認識する他者とは、我々自身に内在する他者であり、決して現実の他者そのものではない。歴史、政治、思想、哲学、地域研究、あらゆる分野に携わる上で、必読の書であろう。