日本語も余り出来ないイギリス人女性が、現地で道案内を雇い伴ひさせながらとは云へ、東北から北海道にかけての一人旅を無事に完遂できた事自体が奇跡的である、と「逝きし世の面影」で渡辺京二氏は指摘しております。確かに西欧では非常識に属する事なのかも知れません。兎にも角にもバード夫人は旅に出ます。
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<br />イザベラは馬に乗るのですが、馬は走るのではなく歩くのが常であり、その前を馬丁が走つて道を開けます。馬は一般にあまり調教されてゐないため、暴れる度に夫人は放り出されます。道は整備が悪く、天候が悪いと泥濘に嵌まり、思うに任せない道中が続きます。
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<br />しかし馬丁は何時も陽気で、馬の世話は勿論、イザベラの為に何事につけ骨を折り、時には風習の違いから反対意見を述べ、そのやり取りは珍道中さながらであります。
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<br />離村は貧しく、時に夫人は美しい風景を見つめ、旅を続けます。
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<br />特に筆が冴えるのはアイヌについての記述で、本書の醍醐味であります。
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<br />「日本人」から見ても独特な種々の習俗は、彼女には理解可能でありました。宗教観にも理解を示したイザベラは、ある集落で鎮守の祠(ほこら)に案内されます。遠い昔に日本から渡つて来て彼等を導き、今も守つてくれてゐるといふ神が、自ら書ひたと云ふ文は確かに日本語で書かれておりました。「義経、流れて此の地に来たる」と。
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<br />キリスト教徒であるモース夫人にとつて、此の世は人間(キリスト教徒)が救済に至るまでの試練として神が与えた場で在つたはずです。しかし蝦夷で出会ったのは、悠々と流れる時間と、人間も含めた世界そのものが「ただ在る」という端的な提示でありました。
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<br />夫人が旅を続けた理由は其処にあつたのだと思ひます。
明治時代に書かれた、イギリス人による紀行文です。外国人が思った事を端的に書いているため、当時の状況が良く分かります。衛生面が劣悪だった事、女性の地位が低かった事、道路事情が良くない事、などが印象的です。
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<br />著者であるイザベラ・バードは表現力が豊かという訳ではないので、少々単調であることは否めませんが、現代から見返せば原風景とも呼べる景色を表現して残している実績は高く評価できると思います。また、この紀行を「女性」がなし得たというのは、当時の状況を推測すれば、まさに驚愕に値するのではないでしょうか。
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<br />日本の原風景を探してみたい人にはピッタリの一冊です。
私が今まで読んできた欧米人による明治維新前後の日本記は都市部の記述がほとんどだったのだが、本書は著者が実際に足を運んだ日本の奥地の記述がほとんどである。特筆すべきはこの点である。
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<br />著者が見たのは維新から10年ほど経った日本であるが、当時の日本の都市部と奥地の生活レベルの差は、相当だったようである。ほとんど裸、皮膚病が多い、粗末な食事、と言った記述が目立つ。その一方で、辺鄙な所でも追い剥ぎには遭遇しなかったことや、貧しくとも必要以上の報酬の受け取りを拒否する場面も印象に残る。