この本を読んで、百数十年前の日本の認識ががらりと変わりました。
<br />著者は江戸末期から明治初期に来日した外国人識者の目から、当時の日本人にとってはあたりまえすぎて記録にならなかった庶民の生活の息づかいを浮き彫りにしています。
<br />幸福そうな笑顔、陽気でよく笑う、礼儀正しく親切、おおらかな性、子どもが大切にされている、動物との共生、仕事や生活そのものを楽しむ。こうしたことが、ある一部の地域や階層のみのことではなく、津々浦々、庶民の最下層にまで行き渡っていたことに目を丸くします。
<br />「逝きし世」とは、この輝きに満ちた日本文明が死すであろうことを、西欧文明を持ち込んだ当の外国人識者が、明治初期に既に予見し惜しんでいたということ。墓標として書き残さずにはいられなかったという気持ちがよくわかります。
<br />ところが、読後感は意外に明るいものでした。外の目から見ることで、気にもとめていなかった自分の良さを発見することがありますが、ちょうどそんな感じで、私たちの体の中にまだまだ江戸人の豊かさがあることを見た様な気がします。
<br />文庫としてはかなりボリュームがありますが、証言集みたいなものですから、章ごとに「」部分を拾い読みしていくだけでも要点はつかめます。
<br />常識を覆す良書です。
冒頭で、強引な通商交渉の為に来日していたペリー(ハリスだったかもしれません)が艦上から美しい風景を眺めながら、来日数日にして煩悶に陥ります。目の前で消え去つて行かうとしてゐる美しい文明。ここに西欧を持ち込むことに義はあるのか。
<br />
<br />明治維新前後、多くの西洋人が日本に滞在し、様々な文章を残してゐます。其れを縦横に読み解くことによって、当時の日本の姿を浮き彫りにしてゐくと、今の日本とは連続性の無い一つの文明が現れます。
<br />
<br />詳細に言及すれば、著者の誤りや偏見、贔屓があるとは思います。然し乍ら、ある文明が確かに其処にあり、今の価値観とは異なった幸せと美しさがあり、惜しまれるべきものを持っていたという著者の主張は正しいと言わざるを得ません。
<br />
<br />もう帰って来ない「逝きし世」。当時の幸せと喜び、特に子供達の平明さを誇りに思います。幸あれ。
<br />
<br />この先、折に触れ何度も読み返す事に成ると思ひます。
著者も述べている通り、異邦人達が好意の色眼鏡を通して見た日本であっても、彼らが強く魅かれた、もしくは自国の文化コードと著しく差異を認めた点こそ、日本の当時の文化を考察する上で重要なポイントだろう、という事なのだが、それが「人々の充足した生活ぶり」だったようだ。
<br />
<br />前工業化時代、贅沢品はないけれど、だから日用品を芸術といえる域まで高めていった職人達、山のてっぺんから海まで耕作された田畑、長い唄の合間になされる力仕事、支配者階級(将軍ですら!)非常に質素な着物を着ているくせに、その色柄の趣味が非常に洗練されていた事実。
<br />
<br />長らく戦争のない時代であり、工業的な進歩がなかったからこそ、その時代の人々は現代にあるようなストレスや不安から完全に開放されていたように思える。
<br />人口も一定だったから、食物に困るような不安もなく、貧乏ではあるけれど不安もない、これは精神的には非常に楽な生き方だったんだろうなあ。
<br />
<br />今の日本が、いや世界の方向性が間違っているとは言いたくないが、しかし本当にこの方向でいいのだろうか、と考えてしまう自分が、当時日本にいた様々な使節団の外国人達と被ってしまうところに何ともいえない感じを受ける。
<br />
<br />外人の目を通し、時間軸も越えて自国を見る体験がこんなに面白いんだなあと思える一冊。
<br />
<br />喪ったものばかりクローズアップされますが、現代に生きているかつての日本(それを著者は寄木細工に喩えて、ピースは同じでも組みあがっている文明は違うんだ、と言っていますが)を身近に感じられるからこそ、この時間旅行を非常に魅力的にしているとも思えます。