織田信長が実は女だったという仮説の元につくり上げた戦国物語。色物小説かと思ったが、信長=女という虚構以外は、史実に努めて忠実で、思わずニヤリとしてしまう辻褄合わせが随所にちりばめられている。歴史小説ファンの方でも、十分に楽しめるのではないか。信長の独創と思われていた施策・戦略の数々が、宣教師を通じて西洋に学んだものと言う設定は、信長ファンとしては、ちょっとがっかりだった。
信長を女と設定したがゆえの面白さと、無理が顕著に現れた作品。かなりの力業で描ききっていますが、後半の信長を襲う倦怠感は、単なる更年期障害だったのか、ゆえに天下一統を投げ出したのか、ゆえに悲劇の英雄として「織田信長」は死に、御長が生きた、という結末は予想の範囲内。範囲内なら範囲内なりに、虚構の世界なりの面白さをだして欲しかった。
<br />いうならば、「カエサルを撃て」の主人公を女にした作品です。
<br />それでも、あっという間に読ませる筆力は相変わらずです。
これだけの大作を一気に読ませる娯楽的な読み物としては、成功しているといえるだろう。信長は実は女だったという設定は。ジェンダーや性の不一致、親子関係、自己実現論、様々な分析を横においたとしても、読み進むことができる、読者を引き込む力があるという点、それだけで価値があると思う。
<br /> 筆者の女性論というものが反映しているのは否めないが、破瓜のシーンではやはり筆者の男性としての限界がはっきり見えて、むしろ爽快なくらいこっけいで面白かった。性の描写に関しては、読者サービスに余念が無い筆者だが、今回はインパクトというより、生身の体と理想との間で、加齢と共に自己像が引き裂かれていく主人公という設定に注目できる。成熟を許されない、未成熟であることがアイデンティティであると位置づけられている「女信長」は、歴史的な悲劇の主人公として「夭折」しそこなった形を取らざるを得なかったのだろうか。
<br /> さらに保護者・あるいは同性の友達・年増女を相手にする若いツバメ・共同事業者としての中年の男性の理解者、その時その時の生活と成長の場に合わせたパートナーを必要とする設定。それは、作品構造のバリエーションとして楽しめたものの、パターン化した精神分析を感じさせた。
<br /> 生々しいのは、唯一身分という後ろ盾を持たない秀吉が、甘んじて受けていた侮蔑を覆し、自己の尊厳を取り戻そうとする所。そのきっかけが「男は許すが、女は許さない」という髑髏の杯のエピソードの下りだった所だ。
<br /> 光秀の置かれた立場、この目立つ「黒子」の存在については、終章で各自堪能してもらいたい。