講演中に脳出血で倒れ、その後の闘病中に癌に見舞われた著者の現場復帰作。ただしこれは本稿中に記されるように、闘病記や回想録の類いでは決してない。そういった安手の感傷やドラマチックな人生訓話を排除した、まったき魂の軌跡である。
<br /> 死の力を生きることで発せられる意識と肉体の軋み。忍び寄る湿潤な闇の底からせり上がるような情動が、迫真的な言葉で迫ってくる。本人が好む好まざるに関わらず、これまで時局的発言が多かった著者だが、本書では「傷んだ脳や麻痺した手足の感覚」を通じた観念的思索があまたに吐露されている。多くの芸術家、作家がそうであったように、死と呼応することによって辺見の想念はさらに蠢きを増したようだ。
<br /> また全編に配された森山大道の作品群が著者の心象を見事に照射しており、言葉を官能的な領域へと誘引してくれる。
本書は、著者の久々の新刊であり、
<br />死を間近に見たことによってより深みを増した文章が収められています。
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<br />というよりも、率直に感じたのは、
<br />やはり、大きな危機に直面した著者の苦悩や混乱でした。
<br />これまで外に向けて、文字通り孤軍奮闘の言論活動を続けていた著者が、
<br />今、外と内なるものへの二正面作戦を迫られている姿には、
<br />エールを送らずにはいられないとともに、
<br />そろそろ著者の言論に甘えてきた自分と決別せねばならないと感じさせられました。
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<br />思うに、私を含め、著者の文章にカタルシスを覚えるばかりで、
<br />自分自身は何のアクションも取ってこなかった読者が大半なのではないでしょうか。
<br />著者に目を開かされた者は、今や自分自身も何らかの、
<br />ささやかな、可能なら堂々とした行動をとる責任を負っているような気がします。
<br />とはいっても、著者は何も時代錯誤の「革命」を求めているわけではありません。
<br />ヒントは、本書や「抵抗三部作」にちりばめられていると考えます。
辺見庸という作家については、ジャーナリストで芥川賞作家ということくらいしか知りませんでした。ですから、読んだ作品も「自動起床装置」だけでした。
<br />このほど、この本を手にし、その気迫に圧倒された感じです。その持っているしっかりした考え方もさることながら、脳出血、癌と、普通であればどうしようもなく精神的にまいってしまうような状況の中で、ここまで書く気力があることの凄さを感じます。まさに、何かが憑いているような気さえします。
<br />そんな作者が、自分自身に厳しく「審問」という形で自問自答をする形で、この本は書かれています。
<br />その中で、かつて戦争や様々な「悪」は、「善」と全く切り離されていたと述べています。それが、現代社会の中で、市場や資本の狡猾さが進む中で、その境目がはっきりしなくなり、いつの間にか「悪」に加担していると語っています。そうした「悪」への「責任を無数に分散し薄めさって最後にはきっぱりと揮発させて」しまっていると言います。確かに、言われて見れば、その通りでしょう。いつの間にか、そうなってしまった、というのではいけないでしょう。そうした意識の無さが蔓延している現代への警鐘として、重く受け止めた一冊でした。