この本の内容
<br />序章と第6章を見ればわかるが、私なりにまとめてみると、現在の日本ではハイパー・メリトクラシー化が進んでおり(知識の習得より、個人の人格などが重視される)、それにより個人が生きにくくなったり、少子化になったりと、いろいろ不都合が生じている。このような事態を打破するためには、「専門性」を身につけるなど、ハイパー・メリトクラシー化に抵抗すべきだ。
<br />評価
<br />長所―なかなか興味深いデータが多い。『若者と仕事』よりは緻密(なぜ専門性を求めているのかがわかる)
<br />短所―(1)データのほとんどが意識調査であることが問題。(2)「専門性」に関する疑問。(3)データと私の実感が違う(一例を挙げると、ポスト近代型能力は以前から求められたのでは?)。
<br />以上、長所星5つ、短所で1つ減らして、星4つ。
どうも多様性を知識に限定してしか考えられないようである。
<br />またかなり結論ありきの調査に思えて仕方が無い。
<br />問題は、今のような教育の仕方を続ける限り、知識の階層化=多元化となってしまうことなのではないか。
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<br />本当の多元化とは、個人が自分の得意なこと(知識では分類されない)を見極め、
<br />それを常に意識しながら最大限発揮し、
<br />それを更に高めるための知識・スキル・思考法を身につけ、
<br />同時に社会に役立つ方法を見つけ、それで稼ぐ方法を見つけ、
<br />かつ他者の得意なこととシナジー効果を発揮することである。
<br />フラット化=多元化にならなければならない。
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<br />このことを真剣に考えた上で教育大改革をやらなければならないのではないか。
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ハイパーメリットクラシーとは、学校教育では「生きる力」に代表される人間力であり、企業では「成果主義」だと本田さんは書いている。不勉強な私は本書を読むまで、このふたつをつなげて考えたことがなく、「なるほどなー」と感心した。そしてハイパーメリトクラシー社会の下では格差が開き、固定化するとしている。確かに学校でも企業でもコミュニケーション能力や意欲を問われることが20年前に比べて増えてきたことは事実。本書ではそれを問題と捉えて解決策まで言及しようとしている。共感するのだが、具体的な提言が弱いと思った。「それで!」と期待してページをめくったが、最後は物足りなかった。著者にはぜひもう一冊、本書の続編を期待したい。