人類史上最高の天才の一人と言われながら、家も財産もなく、家族もなく、仕事もなく、着替えと栄養ドリンクだけを持って、世界中を巡りながら、人生の大半を数学に使った天才エルデシュ。朝起きるとエルデシュはおはようとは言わない。「nを自然数とすると、」というふうに数学を始める。食べながら数学を話す。そのようにして一日十九時間以上を数学に使う。彼を3日間家に泊めた人から聞いたが、東京タワーに連れて行ったら、展望台についてすぐ、数学の話が始まったそうだ。
<br /> 81歳になった1996年の6月に、エルデシュは研究会で質問をしている最中に倒れ、緊急手術でペースメーカーを埋め込んだ。しかし彼は、その日の夜のお別れパーティーに外科医と共に現れた。外科医を皆に紹介したあと、「質問を終わらせてしまいたいと思います。」と言って、昼間の数学の質問を続けた。彼には生と死の問題よりも、数学の方がずっと大切だったのだ。この年が彼の晩年となった。彼は自分が望んでいたように、死の直前まで数学者として生きた。
<br /> エルデシュは孤独に研究するよりも、多くの人と共同論文を書くことを楽しんだ。彼と共著論文を書いた人は509人いる。これは数学の歴史でも群を抜いている。彼は数学を本当に愛したが、数学を通じて人との交流をとても大切にした人でもあった。
半生を放浪の中に過ごし、各国の数学者の家を渡り歩いて過ごした数学者エルデシュの伝記。ほんとうにスーツケースだけで各国を放浪したらしい。けったいな人だと思うが、奔放な生き方は憧れの対象でもある。
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<br />数学というのはとても厳密なルールに基づいて薦められる学問のようである。突拍子がなくって奔放な学問のようで、実は窮屈な学問分野なのかもしれない。エルデシュは言うように、すべての証明は最高の独裁者(Supreme Fascist)=神の手の中にあり、数学者は神の手の内を覗こうと一所懸命になっているだけだとすれば、それって実はかなりストイックで窮屈なことなんじゃないかと思う。
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<br />思考の世界でさまざまなルールを自らに課して、ストイックに数的思考を純化させているのだから、実生活ではちょっとくらい変人でもいいんじゃないか、と思ってしまう。
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<br />原題は『数字だけを愛した男』。愛の対象がちょっと普通の人と違うけど、これって立派な恋愛物語じゃないか。最近の小説とか映画とかでは、純愛は男女間で、どっちかが病気だったり死んだりしないと成立しないかのような空気が感じられたりもするけど、これも相当立派な純愛だと思う。
現在ブログ界隈で話題になっているロングテール論や、複雑ネットワークに関する分析なども、元をたどっていくと、グラフ理論にたどりつく。そして、このグラフ理論の基礎はエルデシュによって作られた。本書を読むと、数百人と論文を共著したという放浪の数学者エルデシュの生涯は、まさにこのグラフ理論、ネットワークの実践だったといえはしまいか?