写真というもののすごさというか、それが表す刹那的なインパクトのすごさというものを、まざまざと見せ付けてくれる。あまりに宗教的すぎていやになっちゃうところもあるけど。写真については見てくれ、としか言いようがないわけであるが、各写真についたコピーについて考えてみたい。
<br /> てゆうか、なんでコピーが必要なんだろう。写真を表すのは写真だけで十分のはず。だいたい効果的なコピーは三分の一くらい、だったか。でもこれはべつに写真集じゃなくて、写真とコピーでひとつの作品なんだ、と途中で気づいた。普通写真がメインだと思うけれど、これは実はそうじゃない。
<br /> これは「生と死」についての作品であることは間違いない。たとえば、ある美しく、壮大な写真がある。普通、そこで連想されるものは「生」であるのに、「死」を思うコピーが写真に書かれることで、その「生」に内包された「死」が浮かびあがってくるみたいじゃないか。あるいは、その逆もある。すごい。生死は表裏一体、なんて。
<br /> もちろん、全部が全部そういうことに成功しているわけじゃない。それでもp22、p62など白眉じゃないだろうか。
駒ケ根高原美術館(長野県駒ヶ根市)に常設展示された「メメント・モリ」を見て衝撃をうけ、本を購入しました。
<br />個人的なことですが、鬱がひどく死にたいと思う日々を送っている最中の出会いで、ハッと我に返りました。 「死にたいと思う」と「死を想う」は全く別のこと。
<br />藤原さんからのメッセージは【死を想え】。 一生かけても答えはでないかもしれない。その答えを探す旅が「生きること」なのかもしれない・・・
<br />購入を迷っている方は、藤原さんのオフィシャルサイトで公開されている"Memento mori"をご覧になってはいかがでしょうか。
「やさしさ」はその人が負う死者の数に比例する。
<br />失った者は、失う痛みを知っているから。
<br />
<br />「死」を隠蔽した社会は、「生」の意義を失わせた。
<br />”今此処にいる”その事実がどれだけ尊い事かを、私たちは忘れてしまったのではない。
<br />それを元から知らないだけだ。
<br />それは、とても哀しいこと。