アスペルガー症候群の特性を持ち、ずっと苦しんでいる21歳のアルバイト販売員(いわゆる「フリーター」ですが、私はこの呼称を認めたくありません)です。学歴は国立大学中退です(まだ形式上は在学していますが、不登校の状況を打開できないまま時が流れてしまっています)。私は障害によるものか、学校に不適応であったためかわかりませんが、長いかったり難解な本は読めません。この本は簡潔にまとまっているので、読めるし理解できます。
<br /> この本を読んで、生きる希望を持てました。しかしそれは、鼓舞されただけのポジティブシンキングではありません。事実と、それに対する具体的対処法が書いてあるから、冷静に希望がわいてくるのです。
<br /> あらゆる点で、当事者にとって救いになる考え方を提示してくれます。方策も提示してくれます。それらは、健常者の集団内では、あまり言われないようなことばかりです。友達について、趣味について、仕事について、人生について、言葉に旨く出来ないけど言いたかったことを、言葉で言ってくれてい手、「自分はこう思っていたんだ。自力では言い表せなかったけど。」と感動しました。
<br /> 今、私は月給7万で親と同居です。恋人は自転車(ナショナル製レトロミニ、パナソニック製クロススピードFX)と、車(H9年式アルト)です。健常な方から見ると負け組みな人生に見えるでしょうが、自分の脳の戸特性がわかり、自己肯定感を持て、仕事も何とか続けられていて、安心できる友人もたまに会えるので、この本を読んでからいくぶん幸せです。自殺しようと考える頻度が減りました。
<br /> きっと、私のこの文章は他の方にとってはとても読みにくい文章だと思います。すみません。私は、作文が苦手なのです。みなさん。この本を書いてくれてありがとうございました。また、印刷してくれてありがとうございました。この本お売ってくれてありがとうございました。このほんをかって、有効需要を生み出してくれてありがとうございました(増刷には需要が必要だから。増刷によってより多くの人にこの本を読んでもらえる)。それからなにより、この私の読みにくいレビユーを読んでくれてありがとうございました。
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著作物の言語を知らない監修者とは一体どのような存在だろうか。翻訳でも監修は可能であろうが、言語には翻訳し得ぬものがある。翻訳し得ぬものが、その書物の中で割合が小さいと言うのであれば、なおのことそのような監修者が必要なのだろうか。
<br /> 次に2つの疑問箇所がある。第1点は、P17の自閉症スペクトラムの割合の1%を表すのに世界の人口を母数として、英国人並といい、かつスウェーデン人は0.15%なのでスウェーデンに生まれることのほうが自閉症スペクトラムより、ずっと珍しいと言っているが、どのような意味を込めて文章を書いているのか、理解不能である。次にP47で「科学する心」と書いているが、ASの人たちの一見知識欲に駆られた質問は、「科学する心」ではない。単なる好奇心であり、それを「科学する心」というのは、贔屓の贔屓倒しと言うべきであろう。子どもに読ませるという点からも、著作には心したいものである。
AS(アスペルガー症候群・自閉症・広汎性発達障害...など)の子どもたちにむけて<br>「宇宙人」としてでなく、「少数派の個性」として「多数派」と上手にやっていく<br>ためのガイドを易しい言葉で伝えている小さな本。<p>一緒に接してくれている母にこれを買って読んでもらおうと思います。<br>AS本人の立場にたって公平に書かれている。<p> 子ども時代は友達の数が多いことだけがりっぱなことのように思い込まされています 。同級生みんなと「友達」になることは不可能です。その必要もありません。<p>こんなふうに言われたら生きやすいですよね。周囲の人間、「サポーター」にとっても<br>意識をかえるきっかけにできそうな良書です。