両極端と見られる日本人とユダヤ人が当然の帰結として似通ってしまうのは分かる気がした。何故なら、物事というのは、極めれば極めるほど追い求めていたものとは正反対のものを意識せざるを得なくなるからだ。一神教のユダヤと多神教の日本。一見,正反対のものが極めれば極めるほど(ちょうど「生」と「死」を真剣に考えたら必然的に反対側に有るものを意識せざるをえなくなる。つまり「一生懸命生きるため」には「何のためなら死ねるか」を考えなくてはならなくなる。また、死を意識すれば当然「それまでどう一生懸命生きるか」を考えなくてはならなくなる。つまり死と生は表裏一体、切っても切れない関係。それと一緒で一神教のユダヤと多神教の日本が、お互いその本質を極めて行けば行くほど似通ってくるのは当然なのかもしれない。一神教でイスラエルほど敬虔な信者を抱える国も無いだろう。他方、日本ほど他者に寛容な、何でも有りのような国も他に無いだろう。その日本とイスラエルが気が付けば何所となく似通ってくるのは分かる話である。
1948年の建国以来現在に至るまで祖国を守るために戦い続けている国の大使。日本ではナショナリズムということが、ある面で批判されているが、この国においてはそのようなことはできないであろう。大使自身がコーヘン(ユダヤ教の祭司)の家系に生まれているということもあり、ユダヤ教に関する記述が多い。2000年の時を越えて国家を再建しえたのも神と聖書とを信じ続けたからであり、その信仰心は私たち日本人の感覚では理解し得ないものであろう。
<br /> 一神教と多神教との相違や地理的な相違(陸続きと島国)、歴史的な相違など、挙げれば挙げるほど両国は相違点の方が多い気がする。しかし、著者は広範な人間関係、読書などの経験から両国の類似点を数多く指摘するのである。
<br /> ユダヤ人が2000年の時を越えてユダヤ教を守り通せたのかなどもこの本を読むと分かる。人類学的な指摘も面白い。そして大使から見た日本人がどのように映っているのか、これも一つの興味を誘う。イスラエル駐日大使であり、武道家であり、宗教家である著者が「魂を込めて」書いた一冊。翻訳も的確なものである。