・人は心(感情)に動かされるが心と魂は違う
<br />・魂が求めるものが天命だ
<br />・天命は必ずしも職によらない
<br />・天命は動詞で表せる
<br />こういった点が非常に参考になりました。
<br />
<br />「天命」、「天職」といったキーワードに
<br />興味がある人にはお勧めです。
<br />宗教臭い部分は気になる方は
<br />無視しても文意は取れます。
前半には傾聴すべき意見が多くありました。例をあげると「人生の統合作業のため、過去の否定は何ら成果をもたらさない」おっしゃるとおりと思います。さらに「ころころ」と動く「こころ」を止め、「魂」の領域を深める必要がある。そのため東洋の叡智は「座禅 止観 静座 座忘」等々の技法を生み出してきたことは公認の事実です。
<br /> しかし、後半から一挙に整合性が崩れてしまいます。筆者が定義される「天命」を「論語」の「50にして天命を知る」という言葉に結びつけようとされようとされる点です。孔子はいつから生前に成功した思想家として扱われるようになったのでしょうか?
<br /> 本書で引用されている白川静博士の「孔子伝」の冒頭にこのような文章があります。
<br />「孔子はしばしば挫折して成功することはなかった。世にでてからの孔子はほとんど挫折と漂白のうちにすごしている」
<br /> 「孔子伝」は理想主義的な革命家であるがゆえに、現実と折り合うことができず、生涯を失意のままに終わった孔子像を描いています。出口氏は孔子の晩年を幸福な天命を見いだした境地と表現されていますが、「論語」を前提知識なしに読んでみると、楽・礼による「仁」の実現とはほど遠い現実世界に対し、怒り・嘆き・悲しみが述べられている思想書と感じるのは私の独断でしょうか。
<br /> 一般の読者はこのような壮絶な挫折人生に成功者のモデルを見いだすのでしょうか?個人的には、それは選ばれし人々の世界の話と認識しています。
<br /> さらに、筆者が定義されている「命」の定義である「天が人を一番叩くもの」では「50にして天命を知る」とは整合性を持たなくなってしまいます。ちなみに白川博士の「字統」では「神に祈ってその啓示を待ち、その与えられたものを命という」となっており、整合性がとれた解釈が成立する点を付け加えさせていただきます。
「天命」とは何か、そしてどれはどうすればつかむことができるのか・・・我々が最も知りたい真理について具体例を交えながら分かりやすく解き明かそうとの偉大な試みがなされている。著者の提示する枠組みで「天命」が明確になるかどうかについては、もう一段の検討が必要かもしれないが、少なくとも「天命」という極めて大きな人間の存在価値を明らかにし、天命の実現に向けて志を立て、奮闘すべしとする著者の考え方には大きく啓発されるものがある。