本書のテーマとなって医療過誤について、不幸の転帰そのものだけではなく、その不幸が起きた必然性を現代医療の背景に求めている。非常に示唆にとみ、また首肯できる点も数多い。しかし、一般の人が本書を読んだとき、やはり「医師は医師を庇う」という印象をもつのではないかと感じた。その原因は、臨床医学の不確実性がゆえの不可抗力としての不幸な転帰と、予見可能な有害事象が連続したことによって起きた不幸な転帰とを、筆者が当該医療過誤のなかで厳密に分けて論じているわけではないからである。確かに予見不可能な臨床医学の不確実性の結果として起きた不幸に刑事責任の追及は馴染まない。しかし、当該医療過誤では、十分に予見し得た有害事象に対して手を打っていないと思わせる著者の記載もある。とはいえ、よくこれだけの内容を実名で記載し、著者名も隠さなかったと思う。その勇気に勇気付けられられた。
筆者渾身の「医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か」の前編に当たる本です。 医学界の旧弊、メディアの暴力、警察・検察の傲慢、医療行政の怠慢、これらが現場にどにようなしわ寄せをしているかが描かれています。 私は、医療崩壊を読んでから本書を読んだ関係であまり新鮮味は感じませんでしたが、間違いなく、深い洞察を含んだ良書です。 しかし、どちらか一冊というのであれば躊躇無く、医療崩壊をお勧めします。 本著での著者の主張が、より包括的かつ仔細に述べられていると考えるからです。
医療には不確実性が常に伴う。その不確実性に基づいた行為を、結果が悪かった事を理由に刑事事件として扱うことは、その医療の根本である不確実性を否定することである。医療者は患者が不確実性を理解した上で治療を受けるようにする義務があるが、その結果で刑事罰を問われることは医療の完全否定につながり、医療の発展を阻止するものである。<br> 世界に誇れる日本の優れたシステムとしての国民皆保険のもと、平等で比較的高水準な医療が安定して日本では行なわれている。患者の権利意識が高まる現代の中で、求められる医者、患者の倫理観が鋭く分析されている。外科医として、これからいつの日か患者となる一個人として一読すべき1冊です。