「知能」の本質を考察した本である。
<br />といっても、知能とは何かはまだ分かっていない。
<br />そこで、知能の周辺を記述することで、知能とは何かを浮き上がらせようとしているのか。
<br />ところで、一部に、日本語訳オリジナルのジョークが含まれているようだ。
<br />「このジョークは英語で何と言っているのだろう」と思って原書をあたったら、ジョークではなかった。
<br />おそらく柳瀬尚紀氏の仕業だと思う。
あまりに広くあまりに奥が深い。。。 アキレスと亀・・・バッハのフーガ・・・エッシャーのリトグラフ・・・思考する機械・・・ 形式システムの不完全性、すなわち真であるが数学上証明できない命題が存在すること、その衝撃的な定理が存在するなんて!そしてそれを解説してくれる本があるなんて!ありえね〜!!すごい、すごすぎる。ゲーデルは不完全性定理の証明により「人間の理性の限界を示した」と評されたが、この本も人間の理性の限界を示していると思う。
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1989年のペンローズの「皇帝の新しい心」よりもちょっと前、1985年に出版された本の新版です。作者もはじめに書いているように、この本の内容を一口で説明することは出来ません。というのも、一口で説明できないから、こんなに長くてメタ構造の本になったと思われるからです。
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<br />全編を通じて、アキレスと亀の漫才とも禅問答ともいえるような対話とエッシャーの絵が挿入されています。
<br />二部構成になっていて、第1部では、おもにゲーデルの不完全性定理を軸にさまざまな話がかかれています。といっても、バッハやエッシャーの話、それ以外のいろいろな話も登場します。
<br />第二部は、心、意識、人工知能、コンピュータといった内容が中心になっています。ゲーデルの不完全性原理については、他の研究者の意見を紹介し、反論したりしながら、作者の考えが述べられていますが、これも一口ではどうとは言えない流れです。
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<br />不正確さを承知の上で敢えてまとめるならば:
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<br />低次の系は完全であることが可能だが出来ることが限られている。この低次の系を包括するより高次の系はこの低次の系で分からないことが分かるが、その系の高度さ故に不完全さを持つ。さらに「この高次の系」より高次の系は、「この高次の系」の不完全さを完全に出来るが、自身の不完全さがまた存在する・・・
<br />と、複雑・高度な系は不完全にならざるを得ない。永遠に出てくるマトリョーシカの様に、終わりはない。
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<br />人工知能が本当に進歩して、考える力を持つようになったら、それはたぶんあまり役に立たない。なぜなら人間と同じで、気まぐれでミスを犯す存在だから。
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<br />というような感じを受けました。
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<br />ペンローズの「皇帝の新しい心」や「心の影」とあわせて読むと視点が異なっているので、相補的に見えてくる気がします。