江原さんは最近話題なので、一通り読んでみようと思い、この本を手に取りました。
<br />いろんなところに江原語録が展開されています。例えば「天職と適職は違う。適職がもし自分に合わなかったり、思い通りにいかない場合は、適職を単にお金を得るための手段と割り切ればよい。自分の魂が幸せになるような仕事はボランティアでも何でも、適職とは別に天職として探しなさい。」というような内容がありますが、こういう言葉は、普段仕事に追われている自分にとってとても安心できるものでした。スピリチュアル的な世界を信じる信じないは人それぞれですが、非常に得るものが多かったです。
実践的・世俗的なみみっちい悩みをきっかけに、いかにスピリチュアルに向上していけるかが説かれている。著者の本は、はじめはうさんくさい&気恥ずかしい気がしていたのだが、実際には読んでみるとなるほどと頷かされることも多い。
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<br />ただ、最近の著者の本を読んでいて、どうも納得できないところがいくつかある。それは、「評価」をどのようにとらえて生きていくかという点。
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<br />出世や収入のUPなど、要するに「社会的評価」をどのようにとらえるかということは、自分の中の妬み心をどうコントロールし、清澄に保っていくかという問題につながる。これに関して、著者は、時々、評価を得ること自体を肯定してしまっている。「会社を通してどれだけ人々の役に立てるか考えよ」と書きつつも、「評価されるためにはどうすればいいのか考えよ」「上司に自分をアピールするのも仕事のうち」と書く。「金自体は善悪を超えている。生かすように使え」と言っておきながら、一方で、「お金はその人のレベルに合わせて入ってくる」と言う。
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<br />たしかに、ただ単に人を羨んだり清貧に執着したりするのは著者も指摘するように馬鹿げている。 しかし、世の多くの人々の悩みは、むしろ、それより進んで、「人々の役に立ちたいという気持ちで働いている人の全てが評価されるわけではなく、一方、上司に評価されることばかりを考え人を蹴落としつつ働いている人間でも高い評価を得ているというこの世の不公平さ」や「お金が有っても無くても感じるむなしさ」だったりするのではないだろうか?
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<br />つまり、本書にあるように「評価されよう」「お金を稼ごう」と強く思い実行したとしても気持ちが満たされない者に対して、著者はどのように意見するのだろう?
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<br />羨むことなく清貧に執着することなく、しかし評価の檻から解脱しようとすることは、やはり大切なんじゃないでしょうか、江原さん。
「江原さん=胡散臭い」と思っている人にも読んで欲しい本です。スピリチュアルな話を信じる人も信じない人も、現在の仕事(専業主婦も含む/家事という仕事があります。)、人間関係、転職、退職、等で悩んでいる人にお勧めです。「これが天職だ」と思って就いた仕事でも、理想と現実の間の壁が存在します。自分の適職(お金や社会的地位、名誉などを得るための仕事)と天職(自分自信の魂が喜ぶ仕事)がしっかり区分けされていれば、その壁を乗り越えるのは驚くほど簡単だと著者は述べています。ストレスの原因のひとつとして天職と適職のバランスの悪さが考えられるのだそうです。スピリチュラルという言葉に拘らず、普通のエッセイとして気軽に読んでみると、問題解決のヒントが見つかるかもしれません。