そのときにはそこにあって当たり前だったものが、移り変わって今ではノスタルジーを感じることがある。この写真集の写真も、少しくたびれた表情をした当時流行の格好をした女性や、公衆電話で電話をかける少女からそのようなノスタルジーを感じる。そしてふと、「今」もまた変化の過渡期のひとつなんだと実感する。またアラーキーは見る者に、被写体の美しさの本質を示してくれる。沢山の人に見て欲しい写真集です。
こうやってアラーキーを通史的に見ていくと、きっとマスイメージのアラーキーって80年代以降なんだろうなぁって思う。いわゆる「写真時代」周辺。あるいは陽子さんとチロ。まぁ俺の年齢もあるけど、正直、電通勤務時代の太陽賞受賞「さっちん」の60年代なんて、今のアラーキーからは想像出来なくて。そういう意味で、今回の写真集の特に60年代、70年代あたりのお蔵出し作品は俺にとっては「裏アラーキー」というか「アラーキー前史」というか、すごく新鮮だった。あらゆる実験、試行錯誤の跡が見えるよね。“天才アラーキー”って表キャラとは違った部分がそこには覗いていて。コーネル・キャパに言われたという「正直すぎる写真家」って荒木経惟評は正鵠を射ている。写真がほんとに好きなんだってパッションと、ピュアな部分と。一見、スキャンダルで偽悪的なんだけど、アラーキーの写真って一面的じゃなくて両義的なんだよな。生と死。日常と非日常。邪悪と無垢。偽装と真実...矛盾を抱えてる人間、あるいは都市そのものをフレームに切り取っている(もちろん「見せたいものを見せる、見せたくないものは切る」ってフレーミングはあるにせよ)。写真もいいけど添えられたアフォリズムもいい。「写真は過去を進行形にする」「都市の遺骨を捜し歩いて、カメラという骨壷に入れる」「偶然出会うことが重要だね。探すのではなく、向こうからくる。子どもも、女も。向こうからやってくるね」...この1500円、お得過ぎます。
荒木さんの写真集は沢山出ているけれど、これは彼の「骨」ですね。
<br />これがあるから、人妻ヌードも撮っていられる気がします。
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<br />本当は、写真集よりも写真展を直に見るのが本当は一番お薦めです。
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