精神的に参っていたので、この本を手にしました。裏表紙に「読むとなぜか心が軽くあたたかくなる、新しいタイプのノンフィクション」と書いてあったのに…。
<br />自らの不幸を嘆き、必死に這い上がろうとしている人の姿を、こちらが一方的にただ見る(読む)というスタンスが許されて良いのか、まず戸惑いました。
<br />著者はいいのです。だってその人々と直接会って、話をしているのだから。
<br />もし私がその人の前にいたら…?自分は五体満足で、安全で、恵まれた立場で、そんな人々と話をするのなんて、あまりに居た堪れない。辛い。申し訳ない。
<br />そこで止めていてほしかった。本にしたら、私はその痛みや辛さや申し訳なさを、ほんのわずかに想像でしか感じない。そのことが申し訳ない。
<br />著者はこれだけの人々にインタビューを繰り返し、それは凄いとしか言いようがありません。しかし、このような気持ちにさせることが著者の狙いなのでしょうか?どうも私には違うように思えるので、☆3つとさせていただきました。
『勇気』ある…と言っても、内容ではなく 『文章』です。
<br />贅肉をここまでそぎ落とした文章には ひさしぶりに出会いました。
<br />自分の伝えたいことを、
<br />正確に伝えようとすればするほど、説明が多く、
<br />くどい文章になります。
<br /> …私のこのレビューが すでにそうなっています。
<br />
<br />目の前の事実を『事実』として正確に表現していく力。
<br />映像を撮ることを生業にしている方だからできることでしょうか?
<br />
<br />ホームレスの人を扱ったルポ。
<br />最後に 二人の間にそっと置かれるタバコの箱。
<br />...その時 私はタバコの箱になって、ぬくもりを感じながら その場にいました。
<br />
啄木の有名な詩の一節を冠する本書には、様々な人たちの人生模様が描かれている。
<br />自分の容貌にコンプレックスを抱き、恋愛経験のないまま単調な毎日を淡々と過ごす46歳のOL。
<br />人が良すぎて人生の階段を踏み外し、ホームレスとして生活する50歳の男性。
<br />テレクラ遊びにハマっている旦那と、女子大生だと偽ってその旦那に電話をかけてしまう妻。
<br />芥川賞をとりながら、ホームレス同然の生活を続ける男。
<br />妻と別れ、家事をこなしながら生活する男たち。
<br />登校拒否の少年。
<br />うつ病の青年。
<br />女優志願の女性。
<br />リストラされた人々。
<br />ここに描かれる人々は、自分の人生を享受し精一杯生きている人々である。著者はその人たちに取材し、同じ目線で事実のみを語り起こす。なるほどかのボブ・グリーンと雰囲気はよく似ている。読んでいて思うのは、人間とは順応する生き物なんだなあということ。どんな境遇にあってもその状況を受け入れ、たくましく生き抜いていく。
<br />ああ、こういう人生もあるんだなと思う。
<br />様々な人生があるんだなと思う。そこで自分を振り返ってみると、凡庸な人生だなと感じる。それがいいか悪いかということではない。
<br />ぼくという人間は、こういう人生を生きてきた。凡庸だが、ささやかに真っ当に生きてきた。有名でもないし、明日死んだとしてもそれほど世の中に影響を及ぼすこともない。でも、それがぼくという人間であってそれ以上でも以下でもないのだ。でも閉じた世界の中でのみ通用するぼくというブランドは確かに存在している。
<br />それでいいんだと思う。いろいろ考えさせられたが、結局はそこに落ち着く。
<br />そういうことなのだ。