面白い本ですね。
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<br />立花隆さんの本との付き合いは、「宇宙からの帰還」などの科学系ノンフィクションとライフワークとなった「田中角栄研究」から始まる政治系ノンフィクションが主だったものでした。
<br />それが、アームチェアトラベラーをも満足させる、このような壮大な紀行文を読んでみて、氏が持つ幅広いフィールドを新ためて感じることが出来ました。
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<br />本の構成はふんだんに使われた写真と、氏の書く文章。そのコラボレーションが非常に素晴らしい。絵本がもつ分かりやすさと力強さを新ためて紀行文の世界に持ち込んだような印象です。
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<br />氏の言う「最も正当な歴史は、記録されざる歴史、語られざる歴史、後世の人が何も知らない歴史」であるという思いをベースに、氏が訪れた遺跡を語ることを中心に構成されています。立花さんが、語られて来ていない歴史を語ることに挑戦しているような感じがします。
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<br />しかし私が一番刺激的な文章と思ったのは、ミレトスのターレスを語った文章中に「かつて持っていた自然哲学の視点から抜け出し、それ以降の哲学者が観念遊戯の世界を、主たる考察の対象とする」ことを哲学の堕落、と書いていること。こんな刺激的な文章も立花さんらしい視点と語り口で、面白い。
<br />素晴らしい一冊ですね。
あとがきにも言及があるが、写真がふんだんに使われているのに、お値段的にはとっても手頃で、写真を眺めているだけでも楽しい本。
<br /> キリスト教の伝統だと思っていた要素の中に、キリスト教がローマ帝国の公認宗教として採用される過程において、ギリシャあるいはそれ以前に伝統的に信仰されていた様々な思想が名前を変え、外形を変えて受け継がれたものが数多くある、あるいは、その過程で思想の大きな転換と破壊が起きたものもある、といった立花さんによる解説は、写真がすぐ横にあるからこそ、とっても分かりやすく、知識のない自分のような人間にとっては、目が見開かれる思い。前者の例としてマリア崇拝、後者の例として、ギリシャの冥界の世界、聖なるものと性なるものの関係などなど。
<br /> 「遺跡を鑑賞するとき、黙ったままた最低2時間くらいは、そこにたたずんでみるといい。数千年の時の流れという観念が圧倒的に押し寄せてくる」という内容のくだりがある。自分も自らの体を現地において試してみたいと思うことしきりであった。
<br /> こういう本を読む(この本の場合「見る」も。)と、日々の生活上の些細な悩みの余りの小ささが馬鹿馬鹿しく思えてくるので、仕事に疲れている人にはおすすめ。
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須田慎太郎氏の写真と立花隆さんの文章が悠久のたびに誘ってくれます。この誘いは非常に強く、いつか「エーゲ」を旅したいと思わせられます。写真集と呼んでも良いほど豊富に写真が使われていて、そのどれもがはっと息を呑むショットばかりでした。1982年に雑誌「プレイボーイ」の依頼で旅をしたそうですが、帰国後田中角栄の騒動に巻き込まれてその後20年かかって編集されたものだそうです。石器時代、ギリシア時代、ヘレニズム、ビザンチンという数千年の歴史が封印された場所に佇んだときに頭をよぎったという言葉「知識としての歴史はフェイクである」。書かれていない歴史にこそ真実が込められているという思いに駆られるのですが、けだし名言でしょう。鮮明な写真と共に予言めいたな言葉が綴られていてまさに時空を超えた旅を印象付けられました。最も印象的であったのは第一章の「聖山アトスへ」でした。アトスとはギリシアのアトス半島のことなのですが、その半分は修道院が独立したような自治をしている場所なのです。宗教関係者以外殆ど出入りが出来ないため数百年間時間が止まったようになっていて、そこに入ると一瞬にしてその時間を踏み越えたような錯覚に陥ります。本の上で読むだけなのですが、自分が感じた同様の経験とシンクロするため、非常にリアルに感じられました。人類のはぐくんできた歴史の重さが圧し掛かってくる感じです。文明というものの重さ、不思議さ、いろんなことを思索してしまいます。ギリシア文化などにご興味のある方にはお勧めです。