少女時代の私はきれいだと思われたくてたまりませんでした。
少女時代の私はきれいだと思われたくてたまりませんでした。私なんか誰の目にも止まりっこない、美しいとほめてくれるはずもないと思い込んでいたからです。「あんたみたいなみにくいあひるの子に、ハンサムな彼氏なんかできっこないわ」と、よく姉妹たちにからかわれたものでした。
私はいつも恥ずかしい思いをしていました。着物は叔母さんのお古の仕立て直しばかりだし、ダンスもスケートもからっきし駄目だし、よその女の子みたいにきれいじゃないし、ダンス・パーティーの時はいつも仲間はずれだし……。
今でもはっきり覚えています。クリスマス・パーティーの席で私がいつものように一人ぼっちでいると、一人の若者が「踊りませんか」と話しかけてくれたうれしさを!彼の名はフランクリン・D・ルーズヴェルト。
二十年以上もの間、私は劣等感と恐怖心にさいなまれてきました。私の家系は、母も祖母も叔母たちも、揃いも揃ってニューヨーク社交界きっての美人ぞろいなのに、どうしたわけか私一人だけが不器量なので、恥ずかしくてたまらなかったのです。母はよく訪問客に語ったものです。「エリノアったら、あんまり年寄りくさいので、みんなから『おばちゃん』と呼ばれているのですよ」
こんな私に勇気を与える転機となったものは、私よりもっと不幸な方々を助けてあげることでした。たとえば、1910年には、夫はニューヨーク州の上院議員として、他の18人の議員とともに、ある悪徳民主党議員とたたかっていましたので、アルバニーの私たち夫婦の家は会議所みたいになり、毎日毎晩のように泊り込みで討議が続けられていました。いたたまれなくなった私が他の議員の方々の奥さん方に会ってみると、ホテルの一室でしょんぼり一人暮らしをしている方々が多いのに、びっくりしました。ご主人以外は誰一人知らない、この気の毒な奥さん方を元気づけ、励ましているうちに、いつしか私にも勇気と自信が湧いてきました。
この世の中で恐怖心ほど人の心を傷つけるものはありません。私よりはるかに不幸な方々を助けることにより、私は自分の恐怖とたたかい、ついにそれを克服したのです。恐ろしくて手が出せなかったことをなんとかしてやり遂げれば、誰でも恐怖心を克服できる、と私は信じます。ただし、そのためには、絶えずこうしたことをやり続けて、成功の実績を積み重ねる事が第一です。
【エリノア ルーズベルト】
エリノア ルーズヴェルト
(1884-1961)
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フランクリン ルーズベルト夫人、人道主義者。セオドアルーズベルト大統領の弟エリオットの娘で、フランクリンルーズベルト大統領の従妹。 |
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