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縄文時代の謎と特徴 縄文期の大きな特徴といえば、土偶、抜歯、環状列石、そして貝塚である。 そもそも土偶がなぜ作られたのかという点については謎が多いが、土偶のほとんどは女性像、それも乳房や下腹部を強調してあることから、多産への祈りではないかという説が有力である。 また、はじめから身体の一部が欠けた状態で作られた土偶も多数出土しており、これは狩猟に出て行った者の無事を祈る目的で作られたとする説がある。 土偶に代わりに災難を引き受けてもらうという意識からであるとされている。 抜歯についてであるが、これは縄文時代前期から行われている。 下あご・上あごのどちらかから歯を二本ほど抜き取る風習である。 この抜歯の理由については「成人式の通過儀礼」であるとする説が従来は有力であった。 しかし、出土している縄文人の成人の骨の半数ほどにしか抜歯のあとがないことから、「成人式ではなく結婚式の際に抜歯をしたのではないか」とする説も登場している。 当時の人間が婚姻のため他の集落へ移る際は、新しい集落の一員になった証として抜歯をするという説である。 また、婚入先の集落で配偶者が亡くなると再婚する事もある。 その際の同族結婚を避けるため、もともと同じ集落に所属している者(同族)どうしは同じ場所の歯を抜いていたのではないかといわれている。 環状列石は縄文時代の遺構のなかでも特に謎の多いものである。 このストーン・サークルは縄文中期に主に作られている。 石をドーナツ状に配してその中央に立石を置いたもの(長野県諏訪郡原村の阿久遺跡)や、1つの立石を中心にして放射状に石を配し、さらにその外側を河原石で囲った、「日時計」のような形状のもの(秋田県鹿角市の万座遺跡・野中堂遺跡)などがある。 その形状から、これは縄文時代の時計だったのではないかとする説もあったが、近年発見された環状列石の下から人間の脂肪酸が多量に検出されたことから、ここが人間を埋めた場所つまり墓地であるという説が定説となった。 また、石ではなく巨木を半分に割って円形に並べた「ウッド・サークル」も、石川県を中心に発見されている。これは縄文後期から晩期にかけて、石川県や新潟県、長野県、富山県で作られていたとされているが、何のために作られたのかは全くの謎である。 日本海側に多く発見されていることから「海人族と関係しているのではないか」とする説、集会場ではないかとする説、聖なる祭祀の場であったとする説、その形状から「月と太陽への信仰を表した宗教 最後に貝塚についてであるが、これは従来から、縄文人が食べた貝や獣や魚の骨を捨てていた「ゴミ捨て場」であるとされていた。 しかし最近では、単なるゴミ捨て場ではなかったとする説も出てきている。 貝塚には小型のものと直径100〜200メートルにもなる大型のものがあり、全体の6〜7パーセントが大型貝塚であったと言われている。 小型貝塚はそのほとんどがゴミ捨て場であり、縄文時代のみならず古墳時代まで存続している。 しかし大型貝塚は縄文後期の末にはほとんど消滅している。 この理由については、まだはっきりしたことはわかっていないが、大型貝塚は塩の代用品である干し貝を作っていた場所ではないかとする説がある。 貝塚の密集地帯といわれる茨城県の霞ヶ浦沿岸では縄文後期から晩期にかけて、海水から塩を作る方法での製塩が開始される。 それとほぼ同時期に大型貝塚が減少し始める。つまり干し貝から塩分を摂る必要がなくなったので、大型貝塚はお役御免になって消えていったとする説である。
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