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騎馬民族征服説 この騎馬民族征服説とは、終戦間もない1948年に歴史学者の江上波夫氏が発表した「4世紀に九州に上陸した大陸の騎馬民族が倭国を征服し、大和朝廷を樹立した」という説である。 3世紀頃の中国東北部には、ツングース系の騎馬民族である「夫余族」が生活していた。 彼らは次第に勢力を拡大してゆき、やがて朝鮮半島を南下して任那に「辰」という王朝を建てる。 その後4世紀に入り、この騎馬民族は九州に上陸。 そこから東に進み、大和朝廷を建てたという説である。 彼らが朝鮮半島に建てた辰王朝の初代王は「ミマキイリヒコ」というのだが、江上氏の説では、このミマキイリヒコが大和朝廷初代天皇(とみられている)崇神天皇ではないかと見ている。 崇神天皇は、伝説上の初代天皇・神武天皇と同じ「ハツクニシラススメラミコト」という名を持っており、江上氏はこの奇妙な一致に注目している。 また、古墳時代における初期と後期の副葬品の違いにも注目している。 初期では鏡などの祭祀に関係のある物が主たる副葬品であったのに対し、後期では馬具や甲冑など、馬に関係するものが多くなっており、また古墳そのものも大陸の影響を受けた造りに変わっている。 現在、この説は専門家の間では否定的である。 その理由は、 「騎馬民族が倭国を征服したなら東アジアでは重大事件のはずだが、そのような記述は中国の歴史書にない」 「古墳から出土する弓矢が、騎馬民族のものとは違う」 「古墳の変化は、騎馬民族の制服によるものだとは言いきれない」「古墳からは騎馬民族らしからぬ武器(直刀)しか発見されていない」 等であるが、完全に「騎馬民族征服説」を否定できるような根拠はない。
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