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出雲にあった?幻の古代国家 出雲は古代より神々のおわす場所、として神話の舞台となっていた。 なぜ出雲が神話の舞台となったのか。 神話はあくまで神話であり、もちろんそのまま史実として扱うことはできないが、神話成立の陰には、隠れた史実がある事が少なくない。 1984年7月、島根県簸川郡斐川町から整然と並べられた358本もの銅剣が出土した。 荒神谷遺跡の発見である。 それまでに全国で発見された銅剣の総数が300本余りであったから、この数がどれほど驚異的であったかがわかる。 さらにその翌年、銅鐸6個と銅矛16本が、これまた整然と並べられた形で出土した(この2つは一緒に埋められることがないと、それまで考えられていた)。 そして1996年、荒神谷遺跡から3kmほどの距離にある加茂岩倉遺跡で、39個もの銅鐸が一度に出土した。 一つの遺跡から発見された銅鐸の数としては、全国最多である。 これらの発見は、考古学界にとって衝撃的であった。 それまでは単なるおとぎ話にすぎないと思われてきた出雲神話が、にわかに信憑性を帯びてきたからである。 この2つの遺跡はともに弥生時代のものであった。 それまで弥生時代の文化圏といえば畿内と九州の2つとされていたのだが、出雲にも畿内・九州に匹敵するほどの勢力があった可能性が出てきた。 もし出雲に強大な王国があったとするなら、大和朝廷の誕生にも大きな役割を担っていた可能性がある。 その全容は依然として不明であるが、実はこのような謎の古代国家は、出雲だけにあったわけではない。 吉備(岡山県)や日向(宮崎県)、毛野(群馬県)にも巨大な勢力が存在したことがわかっている。
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