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古墳時代の人々の生活 支配者層である豪族は、民衆の住む集落から離れた場所に居館を建てて住んでいた。 この豪族の館は周囲を濠や柵などで囲まれており、ここで豪族の生活や地方自治が行われ、また余剰生産物を蓄える倉庫も置かれた。 これに対して民衆は竪穴式住居や平地住居に住んでいた。 5世紀になると、竪穴式住居にはカマドがつくられるようになる。 人々にとっての最大の関心事は、農耕に関する祭祀であった。 村々では、春にその年の豊作を願う祈年(としごい)の祭りや、秋に豊作を感謝して新穀を神にささげる新嘗(にいなめ)の祭りが行われた。 当時の人々は巨大な岩石や山、川などを「神の宿るところ」と考え、社をつくって祭祀の対象とした。 これが現代の神社の起源であるといわれている。 奈良県の大神(おおみわ)神社や福岡県の宗像(むなかた)神社など、今日まで古墳時代の祭祀遺跡を残している神社もある。 この頃から氏の祖先も神として祀られはじめたらしい。 この祀られた氏の祖先神は、奈良時代ころから「氏神」と呼ばれるようになった。 氏神への信仰によって氏集団の結束が固められたらしい。 この頃は、呪術的な風習も盛んであった。 裁判での真偽の判断は、盟神探湯(くかたち)という方法で行われた。 これは熱湯に手を入れて、手がただれなかったら真、手がただれたら偽であるとする判断方法である。 穴を開けた獣骨を焼いて、その割れ具合で吉を判断する太占(ふとまに)という占いの方法や、災いから逃れるために清浄な水で心身の罪を洗い流す「禊」(みそぎ)、水によらない方法で罪を取り除く「祓」(はらえ)という風習も生まれた。 このうち「禊」と「祓」は、今日でも神社や祭りなどで行われている。
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