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渡来人たち 品部や伴のなかには、朝鮮半島から渡ってきた渡来人も少なくなかった。 5世紀から朝鮮との交流が盛んになったため、また朝鮮半島内部の政情の変化のため(この時代、朝鮮半島では高句麗と百済と新羅が抗争をくりかえしていた)、技術や知識を持った人々が日本に大勢やってきたのだ。 彼らは農業・養蚕・機織・鍛冶・製陶・建築・土木・医薬・文学・宗教・学問といった、あらゆる分野で日本文化に貢献した。 須恵器(すえき)という、ねずみ色をした堅い陶器の製法も伝えられた。 ちなみに在来の弥生式土器の系統をひく土器は、土師器(はじき)という。 この頃から日本で漢字の使用が始まった。 政治・外交の記録や文書を作成したのは、「史部」(ふひとべ)という部民であり、彼らも渡来人であった。 「日本書紀」や「古事記」のもととなった、大王の系譜を記した「帝紀」(ていき)や朝廷の説話や伝承をまとめた「旧辞」(きゅうじ)も、このころから編纂が始まったと考えられている。 渡来人の集団は主に「秦(はた)氏」と「漢(あや)氏」という、二大勢力に分かれていた。 先述の「史部」を管理していたのは、漢氏とみられている。 このほかにも、漢氏の支流といわれる「西文(かわちのあや)氏」や、二大勢力のどちらにも属さなかった「今来漢(いまきのあや)氏」があることがわかっている。 記紀(日本書紀と古事記をあわせてこう呼ぶ)には、彼らの先祖とされる「弓月君(ゆづきのきみ。秦氏の祖で、養蚕や機織を伝えたとされる)」や「阿知使主(あちのおみ。漢氏の祖で、文筆に優れていたので史部を管理していたとされる)」、「王仁(わに。西文氏の祖で、「論語」等を伝えたとされる)」の名前と、渡来の説話が記録されている。
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