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「うしおととら」(藤田和日郎)、引用何百回…何百年、我々は同じ質問を人間にしてきたろうか…。 我々は土の中にいた… かれこれ六百年も昔の話だ。 そこは、人間達のいう刑場だった。 多くの者が我々の上で死んでいったよ。 ある者は未練と後悔 …あるものは恨みと憎悪 人間は死を畏れ、生きたいと希う。 生まれながらにして死に向かっているのに…できるだけそれを先にのばそうとあがく… 我々はそう理解していた。 しかし… ちがう者もいた。 人は不思議だ。 生きるのに固執するかと思えば、そのようなことは関係ないかのように死ぬ者達もいる。 我々はそうした者の血を吸いながら、次第に人間に興味を持っていった。 我々は話し合い続けた。人にとって生きているということは何なのか。 なぜ人間は死にのぞんでああも色々の形があるのだ。 考え、話し続けた末、我々は人の姿をとって現れることにした。 姿、形を「人」に似せれば、人間の不思議を理解できると思ったからだ。 だが、わからないのだ。 … 人はこの世に存在しつづけたいと思う。 存在の停止が「死」ならば、死を拒絶するのは当然だ。 だが、平然と静かにその存在を止める者もおるではないか。 わからぬ、なぜだ。 彼らに笑みさえ浮かべて死を迎えさせるものは何だ? あきらめか?信仰か? … 遊びは終わりだ…。娘よ、答えよ。 満足する死とは何だ? |
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