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「故郷忘じがたく候」(司馬遼太郎)、書評ここでいう故郷とは、朝鮮のこと。 慶長ノ役(秀吉が朝鮮に出征した戦争)で日本につれてこられた高麗貴族の子孫にとっての故郷である。 本書は、司馬遼太郎さんが、薩摩で出会った高麗貴族の子孫を主軸に語られており、小説というよりは、随筆というか、エッセイに近い作品であるといえる。 主軸にすえられている沈氏は日本で育ち、もちろん、薩摩弁しかしゃべれない。 しかし、それにもかかわらず、彼にとって、故郷は、あくまでも朝鮮なのだ。 だから、沈氏の口から朝鮮の人々に向かって、こういう台詞がはかれる。 あなた方が三十六年をいうなら・・・私は三百七十年をいわねばならない 主軸にすえられている沈氏は、日本へと連れてこられて以来、代々陶磁器を作っている陶芸家である。 その技術は、本書を読む限り、相当なものだ。 しかし、彼の父は、栄誉を求めるのではなく、ただ茶碗を焼くことだけに終始せよという。 父は、息子にこういった。 むすこをちゃわん屋にせぇ。 わしの役目はそれだけしかなかったし、お前の役割もそれだけしかない。 生まれながらにしてある宿命を背負った人間。 その人の吐くただ一言の言葉が、それだけでまるで小説のようだと思った。 そういう印象的な台詞、印象的な一文が、司馬遼太郎の作品には、よく見られる気がする。
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