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「世界がもし100人の村だったら」(C.ダグラス・ラミス)、書評人間に把握できる大きさには限度があり、ある閾いを超えるとそれを想像することは難しい。 だから、人は様々なたとえ話をして、その話を自分の実感として理解する。 例えば、地球の大きさは、太陽の大きさに比べて非常に小さいけれど、ただ小さいというよりも 太陽を人の身長とすると、地球はぶどう一粒の大きさである。 といった方が直感として、その比率を理解できる。 この物語もまた、地球全体が一つの村だったとして、その人口の比率から、村民の特徴を述べたものだ。 例えば、世界の生活環境を100人に縮めると次のようになる。 80人は標準以下の居住環境に住み 70人は文字が読めません 50人は栄養失調に苦しみ 1人が瀕死の状態にあり 1人は今生まれようとしています また、こんな記述もある。 もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上には屋根があり、 寝る場所があるなら・・・・ あなたはこの世界の75パーセントの人々より裕福です。 短い文章だが、このように、実際の世界をたとえられると、実感として世界の現実を感じ取れ、とても分かりやすい。 反面、例えば、あらゆる日本人が一人か二人の村民になってしまうので、そのために失われるものがあることも忘れてはならない。 もともと、これは、アメリカのある中学校の先生が、生徒に学級通信と言う形で流したメールが、Web上で話題となり、書籍として出版されたものだ。紹介が紹介を生み、現在では多数のホームページで公開されている。 実際、興味をもたれた方は、WEB上を探せば、原文はすぐに発見できるので興味があれば一度読まれるとよいだろう。(2002年12月現在) なお、下記の著者による記述によると本書の印税は、慈善団体に寄付されるようだ。
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