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「新教養主義宣言」(是枝裕和)、書評自分の知らないことを立て続けに出されると僕は一種の快感を感じる。 それは、自分にはこんなに知らないことがあるのかという驚きでもあるし、これから、こんなにたくさんのことを知れるのかという喜びでもある。 例えば、立花隆氏の書いている「僕はこんな本を読んできた」や本書のような本は、僕にとってそんな本である。 僕は活字中毒者なので本を読みながら、いつも、次に読むべき面白そうな本を探しているのだけれど、こういう本は次に読む本を探すときの足がかりになってありがたい。 筆者である山形浩生氏は、某大手シンクタンクにお勤めになりながら、その一方で、「伽藍とバザール」などの翻訳活動や執筆活動を展開されていて、そのほかにも「プロジェクト杉田玄白」等の優れた活動をたくさんなさっているとてもパワーのある方である。 本書は、その氏が各種雑誌などに発表してきた自分のアイディアや提言などを、まとめるという形で構成されていて、新教養主義宣言というタイトルもその辺りから来ているようだ。 しかし、実際には本書の中にはかなり多くの書評があり、新教養主義宣言といいながらも半分は書評集のような趣も呈している。 山形氏の文章は、文体にかなりとげを含んでいて、好みが分かれるところのようだ。 氏は理系文系問わず、とてもいろんな知識を持っていて、本書を含め、書く文章には面白いアイディアがたくさん含まれているのだけれど、文章が時々すごくとげを含んでいるために多分、そのいいアイディアが拒絶されてしまうケースも多い気がする。 もっとやわらかい語調にすれば、受け入れられやすい気がするのだけれど...。 そのような文章の書き方が悪いというのではない。 ただ、多分、氏には深い考えがあってのことなのであろうけれど、単純になにかすごくもったいないと思うのだ。
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