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「われ大いに笑う、ゆえにわれ笑う」(土屋賢二)、書評土屋賢二氏が、エッセイのネタとして取り上げる内容は、決して華やかなテーマではない。 むしろ、助手がお茶を入れてくれない。とか、妻から棚を作るように言われている。とか、そういう地味な話題なのだ。 ”笑わせる”ことを目的としたエッセイを書く人に土屋教授とも対談した、さくらももこさんがいるけれど、彼女が書くテーマも、実は非常に地味な話題だ。(痔になったとか、健康マニアだとか。。) あ、それ面白いね。と読者に思わせるもの。もっといえば、商品化できるかも。と思わせるものは、テーマそのものではない。ということだ。 商品。としての文章。というのには、売れる理由が要る。 たとえば、闘病記だとか、旅行記だとか、そういういわゆる文章になりやすいテーマ。を体験している人が本を書けば、それはいい商品になるのでは、とつい思ってしまう。 しかし、実際のところ、それだけでは本にはならず、もう一声何かが必要なのだと思う。 その”何か”を探し出すことが、プロとして文章を書いている人の力量であり、ある意味文章を書くことそのものよりも重要な仕事なのだろう。
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