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「酔って候」(司馬遼太郎)、書評幕末から明治初期にかけての歴史小説といったとき、司馬遼太郎さんを頭に浮かべる人は非常に多いに違いない。 「竜馬がゆく」、「翔ぶが如く」、「燃えよ剣」、「新撰組風雲録」など、著名な本が目白押しである。 本書もまた、そんな司馬遼太郎氏の小説群のひとつである。 本書の主人公は、特に幕末期に活躍した大名。いわゆる「賢候」たちである。 山内容堂、島津久光、伊達宗城は、それぞれ、幕末に四賢候と呼ばれた人たちであり、鍋島閑叟はその中に入っていない。 しかし、本書の中でもっともお気に入りの章は、僕にとっては最後の「肥前の妖怪」であった。 司馬遼太郎さん自身、鍋島閑叟のことをほかの賢候よりも高く評価しているように見える。 それは、文中の以下の文章に表れている。 四賢候といい、五賢候といっても、その世界観、経綸の能力、藩士に対する統率力は、棋士でいえば素人と玄人の差ほどに、閑叟はかれらよりもまさっていた。 経済的なセンス。視野の広さ。藩内の武士の統制力。どれをとっても、鍋島閑叟にはほかの大名にはない凄みがあるように見える。 そして、さらに凄みを感じるのは、その実力を維新の寸前まで世間にほとんど知られていなかったことだ。 そこがまた、鍋島閑叟に底光りのする凄みを与えている要素なのではないだろうか。 そんなわけで、僕としては、本書の中では、「肥前の妖怪」がお勧めである。
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